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    横浜と下田と

    今から154年前の1853年にペリーが浦賀に黒船で来航しました。
    アメリカが日本へ、開国と通商を求めた来航です。
    幕府側は、一年の猶予を求め、ペリーは一時退去することとなります。

    一年後の1854年、再度ペリーが、来航します。
    約1ヶ月にわたる協議がおこなわれ、武蔵国神奈川の横浜村へ
    上陸、日米和親条約が結ばれることになります。

    その後、下田へと協議の場所が移され、和親条約の細則が
    協議され、下田条約を締結することとなります。

    ペリーは、下田を去ったのちの帰路に、現在の沖縄である琉球王国へ立ち寄り、
    正式に琉球王国とも通商条約を締結します。

    この流れから、2004年日米交流150周年を迎えています。
    横浜、下田、沖縄と何とも繋がりを感じてしまいます。

    さて、この和親条約のもと、日本初の総領事として、ハリスが
    日本へとやってくることとなります。

    幕末と言われるこの時期、日米修好通商条約締結後に実は、
    ハリスの働きかけなどにより、幕府の使節団がアメリカへ渡っ
    たりなどしています。

    幕末というと混乱期が、どうしても目立ってしまいます。

    が、先のアメリカ視察に加え、パリ博覧会への出展など、盛んに海外への
    視察がおこなわれ、書物など、たくさん日本へ持ち帰られたりします。
    このとき、アメリカは積極的に書物を提供していたりもします。
    後に、この視察団に関わった人たちが、技術、文化を勉強、吸収し、
    明治維新、近代化のへ大きな力となっています。

    アメリカに渡り、造船技術を視察した小栗忠順が江戸幕府へ進言、造ったのが
    横須賀造船所で、のちに明治政府に引き継がれ、海軍の元となっていきます。
    船といえば、坂本龍馬が取り上げられることが多く、小栗忠順は、知られることが
    少ないような気もします。(実はもっと細かい流れがありますが、、、、ざっくりと)

    また、有名どころでは、福沢諭吉ですが、アメリカへ渡った後、通訳として
    ヨーロッパへも訪れています。

    面白い写真としては、
    横浜美術館の常設展の中、幕末にフェリーチェ・ベアドが撮影した貴重な写真で、
    着物姿の遣欧使節一行がエジプトのスフインクスの前で撮影した写真があります。

    スフインクスのまわりに着物姿というとピンときませんが、
    「サムライ」が。。。いっぱい(^_^;という写真です。
    何とも、不思議です。

    機会があれば、美術館で、探してみてはどうでしょうか?

    さて、初のアメリカ総領事ハリスの粘り強い幕府との交渉の結果、
    日米修好通商条約が結ばれることとなります。

    この条約により、1859年に横浜が開港され、1860年に下田が
    閉鎖されます。
    なんとも、鎖国から開国へとむかう中での横浜と下田の不思議な
    因果を感じます。

    そして、ハリスの交渉の結果結ばれた日米修好通商条約で、開港された
    横浜が、開港150周年を迎えようとしています。

    どんな状況下でも、知ることから始めることは、大事だと思ったり
    するのでした。

    実行委員会 いしばし

    カテゴリー:ハマ浜 通信 | 投稿日:2007年05月23日 | コメント・トラックバック:0件

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