エキゾチック横浜 池波正太郎の歩いた横浜
小学校の五年生のころだったとおもう。
長らく東京に住んでいた母方の親類が横浜の
磯子へ転居したので、祖母が、
「荷物をもって、ついて来ておくれな。五十銭あげるよ」
といったので、むろん、ついて行った。
上野駅から桜木町駅までの道程は、
とても高田の馬場どころではない。
学校の遠足は別として、私にとっては、
初めての大旅行だった。
電車の窓から海が見え、汽船が見え、
さまざまなクレーンが見えた。
桜木町から乗り換えた市電で磯子へ行くまでの間、
海はもっと近くにせまってきた。
中略
それから何度も出かけた。
しだいに深入りをして、
ホテル・ニュー・グランドへ泊まり、朝から夜まで
港を歩きまわり、少しも飽きなかった。
そのころの横浜のエキゾチシズムを何と語ったらよいだろう。
「散歩のとき
何か食べたくなって」
池波正太郎 新潮文庫
からの抜粋です。
磯子までの市電への道程が、海がせまってくる・・・
う~ん、、、素敵です。
今では想像も付きません。
当時の弁天通や山下通の素敵な雰囲気も書かれています。
まるで、どこか別街のような(^_^;
何かが始まる、そう、素敵な何かが始まりそうな予感
流れる時を積み重ねても、どんな世代にとっても、
そんな街で、いつまでもあって欲しいなぁ、、、横浜。
そうそう、今でもとっても変わらないと思った文をご紹介。
当時の横浜の人びとは、明治以来の開港時の人情と、
きっぱりとした気性が濃厚に残っていて、ことに若い
女たちの明るい、奔放ともいえる言動と人懐っこさが
私を驚かせた。
それは東京の女たちにはない、一種、特別なものだっ
たようである。
いや全く!と思いますよ、今現在の横浜も。
唯一訂正させていただけるなら、「ことに若い」という部分。
横浜の女性の皆様は、今もなお
人情ときっぱり!そして明るく、しゃっきりした言動、
人懐っこさは素敵ですよ!
と池波正太郎さんも思うことでしょう(^_^)
だって、ハマには浜を そんな女性の方々にたくさん
助けて、励まされて頂いています。
青木雨彦さんの例の洒落た言い方をすれば、
池波正太郎さんも十二分に「ハマっこ」ですね(^_^)
実行委員会 石橋
カテゴリー:ハマ浜 通信 | 投稿日:2007年06月16日 | コメント・トラックバック:0件





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