[PR] 外貨 投資 ハマには浜を! » ハマっ子の輪 その2 佐伯輝子さん

    ハマっ子の輪 その2 佐伯輝子さん

    2007年7月18日 横浜 寿町勤労者福祉協会診療所にて

    青木雨彦さんの奥様からの紹介で、「女赤ひげ先生」として
    書籍も多く出版されている佐伯輝子先生のお話を聞く機会を得て
    伊藤編集長と寿町を訪れました。

    佐伯輝子先生は、横浜の通称「寿ドヤ街」と呼ばれる街の
    寿町勤労者福祉協会診療所にて、28年という長きにわたり
    お医者様として患者と接してこられている方です。

    なぜハマには浜をが?

    と感じる方もいるでしょう。
    ハマっ子のお話を聞き、再生していく砂浜と、これからを感じ、
    考えることが出来ればということもあります。

    寿町、ハマ浜、、、そんなに外れた話でもありません。

    横浜市の中心部が一面海であった江戸時代の寛文7年
    (1667年)江戸の豪商、吉田勘兵衛が9年余りの歳月を
    かけて埋め立て工事をおこなっています。

    これが、「吉田新田」と命名された地域となり、
    勘兵衛の子孫である北の吉田家と南の吉田家が
    代々、この土地を支配していきます。

    時が流れて、明治3年、南の吉田家の土地の東はずれにあった
    「南の一つ目の沼」の埋め立て工事が始まります。

    この埋め立て地が、南側から

    松影、寿、扇、不老、万代、蓬来

    と町名がつけられ、埋地7ケ町となります。
    寿町は、埋め立て地なのでした。

    さて、本題かららずれていますので。。。

    佐伯輝子先生 

    佐伯輝子先生は、昭和4年生まれ、、、
    ばりばりの現役のお医者様です。

    戦後すぐの昭和22年に東京女子厚生専門学校に入学され、卒業後
    東邦大学理学部2年へ編入、昭和28年に同大学の医学部へ入学され、
    昭和32年卒業されていらっしゃいます。

    横浜の埋め立て地区のアメリカ軍からの接収が解除された年
    である昭和32年にお医者様として歩み出したとは何とも不思
    議な感じがします。

    その接収解除と共に横浜公共職業安定所と柳橋労働出張所が
    寿町に移転し、通称「寿ドヤ街」と呼ばれる街が形成されていく
    事となっていきますが、またまた不思議な感じです。

    先生のお話を聞いていて

    「私たちは、両親や前の世代から、次の世代へと繋がる
     大きな川の流れの中に生きているようなものでしょ?
     同じ時代を共に生きている。」

    という話がありまた。

    「人間同士のつきあい」が大切

     ・怒る
     ・正直
     ・ストレスは残さない

    というキーワードが佐伯先生のお話に見えてきました。
    怒るというのは、感情にまかせて怒ることではなく
    その人のことを思い、その人のために、怒るということです。

    「また、お酒を飲んで!駄目でしょ!」

    と本当に心配して怒るというのが、、、、
    わかりやすいでしょうか。

    そういう考えからか、

    検診では、医者と患者という接し方より、相談に来たと考え、
    接するそうです。体なのか心なのか、、、その正直な生き方の
    経験が、患者さんをゆっくりと診ていくのでしょう。

    患者さんとともに、患者さんが自分を知る手助けを、そして
    不安を取り除き、不安とのつきあい方を、ともに見極めていこうとする
    お医者さまとしての姿勢を感じました。

    そして、先生が大事になさっていることが「家族」だそうです。
    なんと、女医さんが寿ドヤ街と呼ばれる地で診療を引き受ける
    最後の一押しは、ご長男の薦めが大きかったとのこと・・・「家族」です。

    きっと、佐伯先生はご苦労を人の何倍もなさったのでしょう。
    戦争中に青春時代を過ごされ、戦後の大変な世の中、大学で勉強され
    そして、お医者様となられたわけです。

    当然、男女差別も当たり前の世の中だったのですから、そういった
    ご苦労も多かったと考えます。
    そのご経験があるから、とても素敵な笑顔で、

    「ストレスなんか溜めないわよ!正直にどんどん言うし、怒るから」

    と言えるのだと思います。
    それはもう、男女を越えて、世代を超えた、とても大きな
    やさしさと強さを感じる瞬間でした。

    でも、人知れず、きっといろいろと考えさせられていることでしょう。
    そして、
    「家族」みなが支え合ってるので、素敵な笑顔でいられるのでしょう。

    先の青木家といい、、、家族というのは大きな力だと改めて
    感じるのでした。

    「人間同士のつきあい」が大切、大きな川の流れの中で生きているようなもの

    同じ時代を生きている皆様と、昭和に大きく変貌を遂げた横浜港を
    これからどういった形で、次の世代につなげていくか?そういうことを
    改めて、先生のお話を聞いていて感じました。

    編集部 いしばし

    追記
    先生の笑顔は、とても素敵で、何よりも、生きていく姿勢が正直で
    とても謙虚でありました。
    文字にすると当たり前の、正直、謙虚ですが、当たり前のものは難しく、
    特に、これほど難しいことはないよな、、、と感じたのでした。

    カテゴリー:ハマ浜 通信 | 投稿日:2007年07月19日 | コメント・トラックバック:0件

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