[PR] 外貨 投資 ハマには浜を! » 「義経北行」の海

    「義経北行」の海

    義経一行が北海道に向けて船出したといわれる三厩の港

    青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩(みんまや)。

    義経寺より北海道を望む

    龍飛崎のあるところです。
    浜から
    北海道が見えます。

    三厩の浜

    ここ三厩の伝承では、

     源義経は
     龍飛崎の近くの海岸から
     仲間と共に
     龍馬に乗って北海道へ渡った

    といわれています。
    今も「義経北行」を信じている人がたくさんいるのです。

    「龍馬が繋がれていた」とされる岩場の上には
    “義経寺”というお寺があり
    そして岩場の前は、今は公園となっています。

    そこに
    「義経」と並んで
    「静御前」の龍神塔が建っていました。

    龍神塔

    私はこれを見て感動しました!

    龍馬が繋がれていた岩場・三厩石

    以前、どこかで聞いたことがあります。

      時が止まったような東北の奥地では
      今も、「御大将」といえば、それは「源義経」のこと…

      土地の人の義経に対する思いは、今も変わらず
      村芝居の忠臣蔵でも、必ず、まずは「義経公」が出てくる。

      でないと、客が承知しない…

    また

      ある時
      「義経公」の思い出話をしていると、

      いつの間にか回りに人が集まってきて
      「酒」となり
      そして、静かに夜が更けていった…

    などなど…
    思えば、義経は

     父は
     部下に裏切られ惨死

     母は
     父の敵「清盛」に奪われ、子まで産まされ

     手負いの兄「朝長」は
     「武門の誉れ」を守るため自害…

    若き日の義経は

    都のはずれの鞍馬の山で、
    孤独で、すさんだ日々を送っていたに違いありません。

    平泉を頼ったその義経を
    受け入れ、
    翼でかばうように包んだ東北の人たち…

    思えば、東北の人たちも
    「ヤマトタケル」や「坂之上田村麻呂」の征夷、
    「前九年の役」や「後三年合戦」の戦乱で「悲しみ」を知っていたのでしょう。

    若い義経の「悲しみ」が、
    きっと
    胸にこたえたのでしょう。

     肉親の縁薄く、その愛にも恵まれなかった「御大将」。
     せめて最後は
     「一番好きだった女性」といっしょに旅立たせてあげたい…

    並び建つ「静御前」の龍神塔に
    今も変わらぬ東北の人たちの
    思いやりと優しさを感じたのでありました。

    龍飛崎から見る北海道

    ハマ浜通信特派員 加藤博

    撮影日時=07年9月13~14日、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩

    カテゴリー:全国の砂浜 | 投稿日:2007年09月26日 | コメント・トラックバック:0件

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