[PR] 外貨 投資 ハマには浜を! » 開港当時を知る波止場

    開港当時を知る波止場

    実行委員会Sです。
    象の鼻のメールを頂いたので、ちょっと
    歴史を調べてみました。

    ——–
    1854年3月3日 日米和親条約

    ペリー提督が横浜村へ来航、現在の横浜開港資料館に現存する
    「玉楠の木」を目印に上陸し、幕府と条約を結びます。
    開港広場には、ひっそりと日米和親条約調印の記念碑が立ちます。
    これにより、下田と箱館(函館)が開港されます。

    それから、4年・・・

    ——–
    1858年6月19日 日米修好通商条約

    アメリカ総領事ハリスが先の条約に基づき、下田に着任します。
    ハリスは、幕府と粘り強く交渉し、日本との貿易に関する条約
    日米修好通商条約が金沢区沖に停泊するアメリカ軍艦「ポーハタン」
    の船上で調印されることになります。

    ——–
    1859年6月2日

    日米修好通商条約に基づき横浜、長崎、新潟、神戸が開港されます。
    のちに下田は閉鎖され、横浜、函館、長崎、新潟、神戸の5港が
    開港されたことになります。

    ——–

    と、ざっくりですが、こういう経過でアメリカ領事ハリスの
    外交努力により、横浜は開港されます。

    歴史的に見て、「横浜」という文字が文献に初めて見られるのは
    室町時代、応仁の乱のちょっと前になります。
    それから400年あまりのち、開港により、国際港湾「横浜」が
    産声を上げたことになるのでしょう。

    開港時、砂州の中央部あたり、二条の突堤が築かれます。
    これが、西波止場、東波止場になります。
    そして、背後に鉄桟橋(現在の大さん橋の原型)が造られます。

    東波止場といわれても、ピンとこないので、愛された名称
    象の鼻がこれに当たります。
    イギリス波止場とも言われています。

    同じ時期に、フランス波止場も造られています。

    現在、
    西波止場側は、新港ふ頭という形に姿を変え、
    フランス波止場は、関東大震災後の瓦礫で造成され、山下公園と
    なりました。

    関東大震災で被災した象の鼻ですが、その後修復され
    今に至ります。
    そして、再開発により、その姿を変えることとなります。

    開港から150年、当時の様子をわずかに残した象の鼻が
    姿を消し、近代化した象の鼻になります。

    そうして、開港当時の総ての波止場が横浜から姿を消すことに
    なるのでした。
    参考URL
    イギリス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/port/general/zounohana/inf_zou/03.html
    フランス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/naka/sighthist/sanpo/rekisi/rekisi-22.html

    カテゴリー:ハマ浜 通信 | 投稿日:2007年01月14日 | コメント・トラックバック:0件

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