僕は、鶴見区で生まれ、南区で育った。
南区は、台地と低地によって形成されている。七つの丘と呼ばれる台地。
そして、大昔、海の部分が陸地になり、さらに大岡川が削ったり、土砂を
堆積したりして作り出した低地によって形成されているそうだ。
南区の誕生は、1943年の第2次世界大戦中であり、
横浜市内では、中区、鶴見区に次ぐ3番目の大きな
区として誕生した。
1945年の終戦後、僕の育った町は、関内や横浜駅周辺などへ出るのに
便利で生活しやすい地域のため、日用品を扱う商店や気がねなく入れる
飲食店も多くでき、下町情緒が残る町となっていったようだ。
僕は、このまちの下町に今でも住んでいる。
下町といえば、決まって路地がつきものだ。
子どのもころ、路地も遊び場のひとつであった。
路地は、都会の下町はもちろん田舎の古い町並みにもある。
僕の体験では、茨城県常陸太田市に昔からの町並みが
残っているところがある。
そこでは、隣の庭先が路地になっていた。
「おじゃまします。」
と声をかける。
また、京都市下京区にも古い町並みが残っており、
そこは、石畳の趣のある路地であった。
ともに生活のために存在している路地だ。
僕の住んでいる下町の路地は、どんなことを感じさせて
くれるのだろうかと思い、暇を見ては路地を散歩した。
路地の前に立つ。
下町ではいたってどこにでもある風景だ。
路地は、少し暗く、いつものように静かだ。
変わったといえば、路地がコンクリート地になったことか。
トコトコと歩き出す。心なしかここちよい風が路地を抜けていく。
さい先がいい ...テレビドラマのようなドラマティックなことが起こるかも ...と、
思っているうちに路地の端まで来てしまった。
表通りは、いつものように、人や車の往来で賑わっている。
日差しが眩しい。明日も散歩してみよう。
翌日、玄関先にところせましにたくさんの植木鉢を置いている家を見つける。
葉っぱが風にほんのりと揺らめいている。
花が咲くころは、あちこちからおしゃべりが聞こえ、とても賑やかなことだろう。
朝には、お線香の香りが、夕方近くはカレーのにおいが路地の中を漂っていた。
日曜日の昼下がりだっただろうか、家族団らんの笑い声が聞こえた。
僕も幸せな気分になった。
どこかの家からピアノを練習する音も聞こえた。
また、子供の自転車が路地の真ん中に止めてある日も。
これも路地ならではのご愛嬌か。
向こうのほうから、猫が僕の様子を窺っていたことも。
そういえば、僕が子供のころの路地は、土肌で、デコボコしており、
小石がごろごろところがっていた。雨が降ると、いつも水たまりが現れた。
そうなると、僕らにとってはかっこうな遊び場となる。
靴や靴下をびしょびしょにして家に帰り、決まって母にしかられた。
今でも街中で、雨の日はそのような光景をときどき目にする。
今も昔も変わらないものはあるようだ。
そんなことを思い出しながら路地の端に到着し表通りに出た。
日差しが眩しい。
表通りは、いつものように人や車の往来で賑わっている。
僕は路地を振り返ってみた。そこに、静けさの中に豊かさを感じた。
(2007年10月作成)
小島 雅彦
編集部より
僕は、「失われたもの」、「失われゆくもの」の中に、
その「もの」の本質や特徴が色濃く残っていることが多いいと考えています。
僕の住んでいる下町も時々刻々と変化しています。
そんな下町の中で下町情緒を色濃く残している1つに「路地」があると感じ、文章を書きました。
この文章が読んだ人の明日に繋がるよう、お役に立てればうれしいです。
というメールの書き出しで、「いっぷくな空間」という投稿を頂きました。
この「失われたもの」、「失われてゆくもの」と入れ替わりに
「生まれてきたもの」、「生まれ変わってゆくもの」があるのかもしれません。
出来ることならば、後者が前者の何らかのものを受け継いでいるものであれば
脈々と「もの」の本質や特徴が根底に流れるのではと感じました。
それが、「ハマの意伝子」となるものに形成されると素敵だと改めて
小島さんの文章を読んでいて感じました。
編集部員より
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