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    大津の人工浜「サンシャインビーチ」

    大津の人口浜

    近江大橋の袂の西側に(サンシャインビーチ)は在ります。
    (ゆみ浜)とも言います。

    大津の人口浜

    砂浜部分は200メートルくらいかな、
    人工浜で横浜でも完成すると、こんな感じかも。

    大津 うちだ特派員より

    編集部追記
    大津市なぎさ公園サンシャインビーチは、大津市中心部唯一の
    砂浜だそうです。
    面白いことに、海水浴情報として、こ砂浜は紹介されたりもします。

    湖岸沿い全長は約4.8kmに続く公園のひとつに、この白い砂浜
    「サンシャインビーチ」があります。

    この公園の一部では、まちの活性化を考えたオープンカフェの
    構想もスタートしているようです。

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    「篤姫の海」 鹿児島県

    松と海 

    鹿児島県の指宿温泉のそばに
    「薩摩今和泉」という駅があります。

    錦江湾に面した海辺の町の小さな駅です。

    この静かな海辺の町が
    NHK大河ドラマの主人公「篤姫」のふるさとです。
    (現・指宿市岩本地区)

    篤姫は
    娘時代まで多くの時間をこの地で過ごし、
    時の十三代将軍・徳川家定公のもとに嫁ぎました。

    篤姫が暮らした屋敷の跡地は
    今は小学校になっていますが
    屋敷の「石垣」や「松並木」などが今も残っています。

    石垣と松並木

    そして
    その石垣と松並木の先は
    すぐ「海」!
    「砂浜」が広がっているのです!

    お転婆の子供時代の篤姫は
    きっと
    裏座敷から飛び出して
    この「砂浜」まで駆けて行き
    兄や
    養育係の奥老女「菊本」たちと一緒に走り回っていたに違いありません。
    そして時々、
    遠くにみえる桜島を眺めたことでしょう。

    伝えられる話では

     この浜で
     年かさの兄が土地の若者とケンカになりそうになった時
     篤姫は
     この病弱の兄をかばって割って入った

    とのこと。
    なんとこの時、篤姫、五歳!
      「天璋院(篤姫)堅固にして強毅… 明晰にして慈愛深し…」

    当時の良家の子女には珍しく「男勝り」
    好き嫌いのはっきりした性格でありながら
    「下々の者」や「弱い者」に対しては「思いやり」の心を持つ
    「強くて優しい人」だったようです。

    篤姫は
    嫁ぎ先、故郷を遠く離れた江戸城で
    何を思っていたのでしょうか。
    故郷の兄同様、身体の弱かった将軍・徳川家定公を支えながら…

    桜島

     国難の悩み多き上様を
     全ての「しがらみ」から解き放ち奉り
     人情厚き我が故郷
     薩摩今和泉へお連れ申し上げ
     懐かしきあの砂浜で
     二人して桜島を眺めたい…

    そんなことを思った日もあったのではないでしょうか。

    しかし
    その後の「展開」をみると夢の夢
    有り得ませんよね。。。。

    でも
    あっぱれ「一本道」!
    みごと走り切った「薩摩おごじょ」の心意気に乾杯です!
    ゆかりの地 看板

    あいさつをしましょう
    撮影データ:「松と砂浜」「あいさつをしましょう!」「石垣と松並木」=鹿児島県指宿市岩本
          「桜島」「篤姫ゆかりの地 案内図」=R226「道の駅 いぶすき」
          いづれも08年6月30日

    参考資料:『篤姫の生涯』=宮尾登美子著
          勝海舟『海舟語録』=江藤淳・松浦玲 編
          『天璋院 篤姫』=天璋院篤姫展・目録
    加藤博

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    「桜島と磯海水浴場」 全国の砂浜 投稿:横井孝

    鹿児島市内にある浜、磯海水浴場
    磯海水浴場より桜島です。

    磯海水浴場より桜島です。

    鹿児島市内にある浜、磯海水浴場です。

    投稿:横井孝さん

    編集部より
    鹿児島の砂浜の画像を投稿いただきました。

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    伊豆 多賀温泉

    以下の画像の砂浜は人工砂浜です(編集部注) 
    伊豆多賀温泉 人工砂浜

    長浜地区の海岸を人口砂浜として改良。

    この春(2008年)、四月から中央の駐車場がオープン。
    親子ずれに賑わいをみせた。

    伊豆多賀温泉 人工砂浜

    当初の計画では平成17年に全部が完成予定だった
    砂浜パークでは工事がなお進められている。

    おそらく千葉の山砂から磨いた砂(磨かない砂は土砂が含まれる)を
    持ってくるらしい。
    地元の方々にお話しを聞くと詳しく説明していただいた。

    — 編集部注 —————–
    以前勉強会で、千葉の山砂を東京湾内の海底に
    一定期間沈めておき、人工砂浜の砂として利用する
    とありました。
    ——————————
    伊豆多賀温泉 人工砂浜

    砂浜を囲う防波堤のデザインが斬新でおもしろい。
    左右、川の50メートル手前より曲線に伸びている。

    直線道路に沿う人口砂浜。

    雄大な景観は新たな人気スポットになりそうだ。

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    海津大崎の浜 滋賀県

    海津大崎の浜 滋賀県 1

    琵琶湖の北端。

    マキノ町海津大崎の桜並木は、樹齢60年を越える
    600本の華麗な「ソメイヨシノ」が、びわ湖岸
    延々4㎞にわたり桜のトンネルをつくります。

    海津大崎の浜 滋賀県 2

    奥琵琶湖に春の訪れを告げる代表的な風物詩です。

    海津大崎は、琵琶湖八景「暁霧・海津大崎の岩礁」としても
    有名で、琵琶湖随一の岩礁と、 湖の碧、頂きに雪の残る山々の緑を
    背景に桜が爛漫と咲きほこり、湖北の厳しい自然を象徴しています。

    海津大崎の浜 滋賀県 3

    湖南地方の優美な眺めに対して、荒々しく勇壮な眺めです。

    海津大崎の浜 滋賀県 4

    この辺りは、琵琶湖で群を抜いて水のきれいな浜で、
    夏はキャンプ水泳場が家族連れで賑わいます。

    海津大崎の浜 滋賀県 5

    ハマ浜特派員 大江竜之

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    南国四国 高知県の桂浜

    南国四国 高知県の桂浜 1

    ここに、幕末から明治に向かって
    駆け抜けた坂本龍馬の像があります。

    南国四国 高知県の桂浜 2

    大きな立像です。
    立像は太平洋に向かって立っています。
    立像は和装ですが、足もとは頑丈そうなブーツです。

    坂本龍馬は「時代の扉」を未来へ押しあけた土佐の俊傑、
    英雄…って、そんなこと、皆さんご存知ですよね。

    でも、「龍馬」って、ほんと不思議です。

    南国四国 高知県の桂浜 3

    というのも、坂本龍馬は身分もけして高くはありません。
    どちらかといえば下級藩士。
    「藩主(殿様)と対面」の資格さえなかったようです。

    きっと龍馬は、海と船が好きで剣術が得意な
    「ただの若者」だったのかもしれません。
    そして、“子供のころはダメだった”とのこと。。。。。

    南国四国 高知県の桂浜 4

      いくつなっても
      十二歳を過ぎても寝小便…

      物覚えが悪い。
      どういうわけか極端にのみ込みが悪く、
      「読み書き」が出来ない。
      結局、師匠にさじを投げられ、寺子屋からは放り出される…

      身体はむやみデカイくせに
      ケンカはからっきし、
      いつも悪ガキに泣かされて帰ってくる…

    そんな“ダメ”な龍馬も「剣」に出会って変わり始めます。
    自分が打ち込めるものを見付けたから、でしょうか。

    そして、この「変わり者で明るく優しい大男」の回りには、
    色んな人間が集まって来るようになるのです。
    この身体のデカイ若者には「人をまとめる不思議な力」があったようです。

    けして二枚目ではないですが、女性にかなりモテたようです。
    羨ましいことです。
    そして、若者は仲間とともに「海援隊」をつくり、大海原に漕ぎ出しました。

    南国四国 高知県の桂浜 5

    やがて、海と船が大好きなこの若者のアイデアが最後の
    “征夷大将軍“までも動かし、時代を明治へと向かわせた、
    ともいえるのではないでしょうか。

    時は幕末。「テロリズムの嵐」が吹き荒れています。
    最後の将軍は、「大政奉還」の立案者であり、反幕志士なのに
    「非戦論者」のこの若者に何かを感じたのでしょう。

     「土州の坂本龍馬には手を出すな(亡き者にするな)…」

    と指示を出したといわれています。

    しかし、この指示が現場に届く直前に……
    襲いかかる刺客集団を相手に、若者は同志とともによく奮戦しますが、
    前額に受けた初太刀が致命傷となったそうです。

    悔やまれるのは、手元に刀がなかったこと…

    海が似合う気持ちの優しいこの若者も暴力によって生を絶たれました。

    南国四国 高知県の桂浜 6
    撮影日時=08年1月27日、
    高知県高知市・桂浜公園 (園内に「坂本龍馬記念館」があります)

    参考資料  『竜馬がゆく』=司馬遼太郎著
          『坂本龍馬 男の行動論』=宮地佐一郎著
          『歴史と小説』=司馬遼太郎著

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    「義経北行」の海

    義経一行が北海道に向けて船出したといわれる三厩の港

    青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩(みんまや)。

    義経寺より北海道を望む

    龍飛崎のあるところです。
    浜から
    北海道が見えます。

    三厩の浜

    ここ三厩の伝承では、

     源義経は
     龍飛崎の近くの海岸から
     仲間と共に
     龍馬に乗って北海道へ渡った

    といわれています。
    今も「義経北行」を信じている人がたくさんいるのです。

    「龍馬が繋がれていた」とされる岩場の上には
    “義経寺”というお寺があり
    そして岩場の前は、今は公園となっています。

    そこに
    「義経」と並んで
    「静御前」の龍神塔が建っていました。

    龍神塔

    私はこれを見て感動しました!

    龍馬が繋がれていた岩場・三厩石

    以前、どこかで聞いたことがあります。

      時が止まったような東北の奥地では
      今も、「御大将」といえば、それは「源義経」のこと…

      土地の人の義経に対する思いは、今も変わらず
      村芝居の忠臣蔵でも、必ず、まずは「義経公」が出てくる。

      でないと、客が承知しない…

    また

      ある時
      「義経公」の思い出話をしていると、

      いつの間にか回りに人が集まってきて
      「酒」となり
      そして、静かに夜が更けていった…

    などなど…
    思えば、義経は

     父は
     部下に裏切られ惨死

     母は
     父の敵「清盛」に奪われ、子まで産まされ

     手負いの兄「朝長」は
     「武門の誉れ」を守るため自害…

    若き日の義経は

    都のはずれの鞍馬の山で、
    孤独で、すさんだ日々を送っていたに違いありません。

    平泉を頼ったその義経を
    受け入れ、
    翼でかばうように包んだ東北の人たち…

    思えば、東北の人たちも
    「ヤマトタケル」や「坂之上田村麻呂」の征夷、
    「前九年の役」や「後三年合戦」の戦乱で「悲しみ」を知っていたのでしょう。

    若い義経の「悲しみ」が、
    きっと
    胸にこたえたのでしょう。

     肉親の縁薄く、その愛にも恵まれなかった「御大将」。
     せめて最後は
     「一番好きだった女性」といっしょに旅立たせてあげたい…

    並び建つ「静御前」の龍神塔に
    今も変わらぬ東北の人たちの
    思いやりと優しさを感じたのでありました。

    龍飛崎から見る北海道

    ハマ浜通信特派員 加藤博

    撮影日時=07年9月13~14日、青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩

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    琵琶湖の浜 近江今津

    琵琶湖の浜 近江今津

    今津の浜です。 

    『琵琶湖周航の歌』

    われは湖の子
     さすらいの旅にしあれば
      しみじみと のぼる狭霧やさざなみの
         志賀の都よ いざさらば

    作詞者 小口太郎ら旧制三高クルーによって
    歌い出された。
    ”歌誕生”にゆかりの深い今津の浜。

    「第二回 今津レガッタ」 へ参加。
    (撮影日2007/8/19)

    ハマ浜特派員 滋賀支部 大江竜之

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    瀬戸田サンセットビーチ 広島県尾道市

    さて、今回

     「しまなみ街道」の砂浜を

    巡りましたのでご報告致します

    原付に乗ってトコトコと尾道に向かう尾道の対岸に
    ある向島に渡り、そこから因島大橋を経て因島を通り
    生口橋を渡って生口島(瀬戸田)に到着。

    生口島橋

    時計と反対方向でR81を(北)に海岸線を走ると
    平山郁夫美術館や耕三寺を通り過ぎる

    右手方向に瀬戸内の島々を眺めながら走り続けると、やがて
    大きな海浜施設が現われるので迷う事はないだろう。

    瀬戸田サンセットビーチ その2

    瀬戸田サンセットビーチ その1

    かつて、NHKで放映していた「ひょっこりひょうたん島」の
    本物(高根島)を眺めることもできるのが、全長800mの
    「瀬戸田サンセットビーチ」なのである

    瀬戸内の砂浜は意外と少ない。

    潮の流れが速く満潮干潮時の海面の高低さが激しいのも
    大きく影響していると考えられる。

    高根島とサンセットビーチ

    因島と生口島と因島大橋

    大三島とサンセットビーチ

    尾道大橋

    安全にしかも安心してのんびりと過ごせる砂浜となれば
    やはり人工的に整備した砂浜しかないのであろう。

    かつてはこの瀬戸内一帯を制覇していた「村上水軍」
    ここ生口島にもその「村上水軍」にゆかりのある地名や建物が
    多く点在しているのである

    そうか・・・「村上水軍」をベースにしまなみ街道を散策する
    という案も良いかもしれない。

    ハマ浜特派員 三東寛 記

    編集部追記

    〒722-2404
    尾道市瀬戸田町垂水1506-15
    瀬戸田サンセットビーチ
    TEL (0845)27-1100
      サンセットビーチ 
    瀬戸田サンセットビーチ公式ホームページ
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    鐙摺(あぶずり)海岸 神奈川県三浦半島を行く その1

    編集部石橋です。

    神奈川県に三浦半島と言うところがあります。

    編集部石橋から、、、特派員いしばしぃとして
    この三浦半島の砂浜や東京湾など、お届けして
    いきたいと思います。

    第一回目は、以前

    神奈川県 三浦半島 逗子にある鐙摺(あぶずり)海岸 その1

    ハマ浜ブログ記事
    鐙摺(あぶずり)葉山港
    http://blog.hamahama.jp/archives/132

    で紹介しました小さな小さな砂浜、鐙摺(あぶずり)海岸です。

    近くに素敵なカフェや食堂もあり、砂浜を裸足で
    歩くと気持ちいいものです。
    ヤドカリや小さな魚もたくさん確認できました。

    神奈川県 三浦半島 逗子にある鐙摺(あぶずり)海岸 その2

    この海岸、あまりに小さく意外と知られていないようです(^_^;
    どうぞ、みなさまお近くを通られるときにどれぐらい小さいか
    体験してみてくださいませ。

    神奈川県 三浦半島 逗子にある鐙摺(あぶずり)海岸 その3

    夕暮れは、海岸から海を望む方角に沈んでゆき、素敵ですよ。
    遠く江ノ島も確認できます。
    画像には写っていませんが・・・

    三浦半島の砂浜情報、環境情報、まちの情報などなど
    お待ちしております!

    ハマ浜通信特派員 いしばしぃ

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