Y150 開国博 よこはま 謹賀新年
あけまして、おめでとうございます。
昨年は、さまざまなみなさまのお力添えで
ハマには浜を!も、活動の幅を広げ、新しい
年を迎えることが出来ました。
本年、横浜は開港150周年を迎えます。
ハマには浜を!も、この開国博へ市民参加という枠組みの中
情報発信をおこなう予定でおります。
本年度も、どうぞ、よろしくお願いします。
編集部より
コメント (0) トラックバック (0)みなさんと横浜に砂浜を再生する活動から環境、交流、まちづくりなどを考えます
あけまして、おめでとうございます。
昨年は、さまざまなみなさまのお力添えで
ハマには浜を!も、活動の幅を広げ、新しい
年を迎えることが出来ました。
本年、横浜は開港150周年を迎えます。
ハマには浜を!も、この開国博へ市民参加という枠組みの中
情報発信をおこなう予定でおります。
本年度も、どうぞ、よろしくお願いします。
編集部より
コメント (0) トラックバック (0)近江大橋の袂の西側に(サンシャインビーチ)は在ります。
(ゆみ浜)とも言います。
砂浜部分は200メートルくらいかな、
人工浜で横浜でも完成すると、こんな感じかも。
大津 うちだ特派員より
編集部追記
大津市なぎさ公園サンシャインビーチは、大津市中心部唯一の
砂浜だそうです。
面白いことに、海水浴情報として、こ砂浜は紹介されたりもします。
湖岸沿い全長は約4.8kmに続く公園のひとつに、この白い砂浜
「サンシャインビーチ」があります。
この公園の一部では、まちの活性化を考えたオープンカフェの
構想もスタートしているようです。
予定の段階ですが、
7/15(火) 14:00~のオンエア FM横浜 Tips Town の番組内
コーナーは、
「神奈川県 赤十字血液センター Color Of Love」
理事長がインタビューに答える形で
出演します。
お時間有る方、要チェックで!
コメント (1) トラックバック (0)先日、 横浜支局の取材を受けました。
7/8朝刊、神奈川・首都圏版の「神奈川を駆ける」
へ掲載されております。
ちなみに、理事長着用のTシャツは、
ハマ浜Tシャツとなります!
鹿児島県の指宿温泉のそばに
「薩摩今和泉」という駅があります。
錦江湾に面した海辺の町の小さな駅です。
この静かな海辺の町が
NHK大河ドラマの主人公「篤姫」のふるさとです。
(現・指宿市岩本地区)
篤姫は
娘時代まで多くの時間をこの地で過ごし、
時の十三代将軍・徳川家定公のもとに嫁ぎました。
篤姫が暮らした屋敷の跡地は
今は小学校になっていますが
屋敷の「石垣」や「松並木」などが今も残っています。
そして
その石垣と松並木の先は
すぐ「海」!
「砂浜」が広がっているのです!
お転婆の子供時代の篤姫は
きっと
裏座敷から飛び出して
この「砂浜」まで駆けて行き
兄や
養育係の奥老女「菊本」たちと一緒に走り回っていたに違いありません。
そして時々、
遠くにみえる桜島を眺めたことでしょう。
伝えられる話では
この浜で
年かさの兄が土地の若者とケンカになりそうになった時
篤姫は
この病弱の兄をかばって割って入った
とのこと。
なんとこの時、篤姫、五歳!
「天璋院(篤姫)堅固にして強毅… 明晰にして慈愛深し…」
当時の良家の子女には珍しく「男勝り」
好き嫌いのはっきりした性格でありながら
「下々の者」や「弱い者」に対しては「思いやり」の心を持つ
「強くて優しい人」だったようです。
篤姫は
嫁ぎ先、故郷を遠く離れた江戸城で
何を思っていたのでしょうか。
故郷の兄同様、身体の弱かった将軍・徳川家定公を支えながら…
国難の悩み多き上様を
全ての「しがらみ」から解き放ち奉り
人情厚き我が故郷
薩摩今和泉へお連れ申し上げ
懐かしきあの砂浜で
二人して桜島を眺めたい…
そんなことを思った日もあったのではないでしょうか。
しかし
その後の「展開」をみると夢の夢
有り得ませんよね。。。。
でも
あっぱれ「一本道」!
みごと走り切った「薩摩おごじょ」の心意気に乾杯です!
![]()
撮影データ:「松と砂浜」「あいさつをしましょう!」「石垣と松並木」=鹿児島県指宿市岩本
「桜島」「篤姫ゆかりの地 案内図」=R226「道の駅 いぶすき」
いづれも08年6月30日
参考資料:『篤姫の生涯』=宮尾登美子著
勝海舟『海舟語録』=江藤淳・松浦玲 編
『天璋院 篤姫』=天璋院篤姫展・目録
加藤博
琵琶湖の港へ
濱まさはるです。
大津のうちださまより、琵琶湖の「大津港」の
画像の投稿を頂きました。
うちださまは、後に触れるハマ浜の特派員に
なっていただくことになることでしょう。
特派員の大江から届く琵琶湖の浜や今回の
うちださまの画像投稿をご覧になった読者の方で、
なぜ?海ではなく琵琶湖?と思う方がいるでしょう。
うちださまと理事のメールのやりとりを一部、ブログ用に
濱まさはるが編集させていただき、その疑問の答えに
なるのでは?と考えてお届けします。
——————————
いつか一回り陸と水の上とそれぞれ廻って
みたいものだと、、、、
いつかは、いつかはと果たせないままいまに至っている。
日本海も琵琶湖に似ている。
太平洋も陸に囲まれていると
意識を広げれば内海になるのではないか。
とすると
水と水際と陸の関係性が
琵琶湖を見据えることによって
明確になるのではないないだろうか。
単車、自転車、徒歩で取材が可能だ。
水の上からは三つの方法では無理だが
同じ箇所を二点から取材の必要有りと考える。
欲張ると空もあるよな。
——————————
そんなやり取りが垣間見えます。
いかがでしょうか?
なぜ?琵琶湖?
の何かを感じることが出来るでしょうか?
その土地、土地には、風土と呼ばれるものがあります。
ハマ浜通信の「タマちゃんシリーズ」、加藤博記者がお届けする
海やその土地の伝わる逸話など、様々な視点から物事を捉えて
見据えてみる試みの記事も、これまで、多数あります。
様々な視点や立場、土地、人の取材から、
私たちハマには浜をの立ち位置、横浜市民ひとり
ひとりの立ち位置が浮き彫りになるのではないか?
ならば、やってみよう!、そんな取材を試みている人たちが、
ハマ浜の特派員と呼ばれています。
どんな小さなことでも・・・
写真一枚と場所だけでも投稿いただけますと、
インターネットで情報を検索するだけでなく、ハマ浜特派員は
見て、
聞いて、
知って、
感じるために、
あなたの街に現れるかも知れません。
濱まさはる
コメント (0) トラックバック (0)僕は、鶴見区で生まれ、南区で育った。
南区は、台地と低地によって形成されている。七つの丘と呼ばれる台地。
そして、大昔、海の部分が陸地になり、さらに大岡川が削ったり、土砂を
堆積したりして作り出した低地によって形成されているそうだ。
南区の誕生は、1943年の第2次世界大戦中であり、
横浜市内では、中区、鶴見区に次ぐ3番目の大きな
区として誕生した。
1945年の終戦後、僕の育った町は、関内や横浜駅周辺などへ出るのに
便利で生活しやすい地域のため、日用品を扱う商店や気がねなく入れる
飲食店も多くでき、下町情緒が残る町となっていったようだ。
僕は、このまちの下町に今でも住んでいる。
下町といえば、決まって路地がつきものだ。
子どのもころ、路地も遊び場のひとつであった。
路地は、都会の下町はもちろん田舎の古い町並みにもある。
僕の体験では、茨城県常陸太田市に昔からの町並みが
残っているところがある。
そこでは、隣の庭先が路地になっていた。
「おじゃまします。」
と声をかける。
また、京都市下京区にも古い町並みが残っており、
そこは、石畳の趣のある路地であった。
ともに生活のために存在している路地だ。
僕の住んでいる下町の路地は、どんなことを感じさせて
くれるのだろうかと思い、暇を見ては路地を散歩した。
路地の前に立つ。
下町ではいたってどこにでもある風景だ。
路地は、少し暗く、いつものように静かだ。
変わったといえば、路地がコンクリート地になったことか。
トコトコと歩き出す。心なしかここちよい風が路地を抜けていく。
さい先がいい ...テレビドラマのようなドラマティックなことが起こるかも ...と、
思っているうちに路地の端まで来てしまった。
表通りは、いつものように、人や車の往来で賑わっている。
日差しが眩しい。明日も散歩してみよう。
翌日、玄関先にところせましにたくさんの植木鉢を置いている家を見つける。
葉っぱが風にほんのりと揺らめいている。
花が咲くころは、あちこちからおしゃべりが聞こえ、とても賑やかなことだろう。
朝には、お線香の香りが、夕方近くはカレーのにおいが路地の中を漂っていた。
日曜日の昼下がりだっただろうか、家族団らんの笑い声が聞こえた。
僕も幸せな気分になった。
どこかの家からピアノを練習する音も聞こえた。
また、子供の自転車が路地の真ん中に止めてある日も。
これも路地ならではのご愛嬌か。
向こうのほうから、猫が僕の様子を窺っていたことも。
そういえば、僕が子供のころの路地は、土肌で、デコボコしており、
小石がごろごろところがっていた。雨が降ると、いつも水たまりが現れた。
そうなると、僕らにとってはかっこうな遊び場となる。
靴や靴下をびしょびしょにして家に帰り、決まって母にしかられた。
今でも街中で、雨の日はそのような光景をときどき目にする。
今も昔も変わらないものはあるようだ。
そんなことを思い出しながら路地の端に到着し表通りに出た。
日差しが眩しい。
表通りは、いつものように人や車の往来で賑わっている。
僕は路地を振り返ってみた。そこに、静けさの中に豊かさを感じた。
(2007年10月作成)
小島 雅彦
編集部より
僕は、「失われたもの」、「失われゆくもの」の中に、
その「もの」の本質や特徴が色濃く残っていることが多いいと考えています。
僕の住んでいる下町も時々刻々と変化しています。
そんな下町の中で下町情緒を色濃く残している1つに「路地」があると感じ、文章を書きました。
この文章が読んだ人の明日に繋がるよう、お役に立てればうれしいです。
というメールの書き出しで、「いっぷくな空間」という投稿を頂きました。
この「失われたもの」、「失われてゆくもの」と入れ替わりに
「生まれてきたもの」、「生まれ変わってゆくもの」があるのかもしれません。
出来ることならば、後者が前者の何らかのものを受け継いでいるものであれば
脈々と「もの」の本質や特徴が根底に流れるのではと感じました。
それが、「ハマの意伝子」となるものに形成されると素敵だと改めて
小島さんの文章を読んでいて感じました。
編集部員より
コメント (1) トラックバック (0)直前のご案内ですが、参加してみたい方いらっしゃいましたら、
blog@hamahama.jpへメールを頂けましたら折り返しご返事
させていただきます。
ハマっち掲載した内容の転載になります。
以下、案内からの抜粋です。
はじめて 開港5都市の環境市民団体が横浜に集結!
つながろう はじまる 開港5都市 エコアクション!
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ポートタウンフェスティバル
環境市民会議
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開催目的:来年横浜開港150周年を迎えるにあたり、
はじめて開港5都市の環境市民団体(森・川・海・食・エネルギー)が
横浜に集い、環境市民会議を開催いたします。
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日時:2008年6月14日(土) 13時30分~17時(受付13時)
場所:赤レンガ 1号館 3階ホール
参加費:無料
■主催 開港5都市連携事業実行委員会
——————————
6/14のこの市民会議に「ハマには浜を」が
参加します。
参加する環境市民会議は、カーボンオフセット付き会議として
おこなわれ、
——————————
15:10 【パネルディスカッション】
パネリスト:横浜市
横浜自然観察の森(財日本野原の会)
チーフレンジャー 東陽一
特定非営利活動法人 ソフトエネルギー
代表 佐藤 一子
相模川(桂川・道志川)よこはま地域協議会
代表 牧島信一
ハマには浜を
理事 石橋 伸一
横浜野菜推進委員会
代表 椿 直樹
函館 アースデイ函館実行委員会
事務局長 榎本陽介
npo南北北海道自然エネルギープロジェクト
副代表 陳 有崎
新潟 サイクルシティにいがた
代表 川上伸一
神戸 npo法人エコレンジャー
朝戸吉照
長崎 環境ネットワークながさき塾
塾長 宮原和明
(司会コーディネーター) 大川哲郎(株式会社 大川印刷 代表取締役)
16:40 わたしたちにできる co2削減行動への宣言
17:00 終了
——————————
この環境市民会議に参加、行ってみたいと
感じた方、どうぞ、私の方へメッセージもしくは
コメントを頂けますと助かります。
参加手続きを私の方でさせていただきます。
どうぞ!お時間有る方は!
コメント (0) トラックバック (0)象の鼻がなくなりました!
とうとうこの日が来てしまいました。
粉々に砕かれ、満ち潮だとほとんど見えません。
うっすらと、ラインが見分けられますが…ショック!!
ハマのタマちゃん記
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