編集部 石橋です。
「江戸っ子は三代続かないと江戸っ子といわれないが、
ハマっ子は、三日住めばハマっ子」
ハマっ子でもある随筆家の故青木雨彦さんの名言といわれています。
保土ヶ谷宿や神奈川宿は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場です。
東海道や各街道が整備され、きっと人が行きかう町だったのでしょう。
江戸時代、現在の横浜市域に住んでいた農民の識字率は大変高かった
といわれています。
村役人は農民の身分でありながら、旗本や代官に代わって村政を担う
ことを求められた結果だそうです。
当然といえば、当然ですが、そういう農民の中には
読み書き、算術にとどまらず、俳句や短歌、生け花、碁など
文化活動をおこなうものも現れていたそうです。
こうして考えると、開港以前から人が行きかい、当然
それとともにいろいろな文化なども入ってきていたと
思います。
さまざまな文化を受け入れる風土みたいなものが、今でいう市民の
農民に、江戸時代にゆっくりと浸透していたのかもしれません。
開港後に、外国の異文化を受け入れる風土が市民レベルであったのかな
と考えます。
開港後は、急激に整備が進みます。
これにともない、文化だけでなく、たくさんの人たちが横浜に住み着く
ことになったのでは、と想像します。
先の風土が、文化のみならず、人までも受け入れることに躊躇が
なかったのかなぁ、、、、と思うのでした。
私も横浜に根を下ろしたとき、違和感がなかったのでした。
そして、不思議なことに、横浜に根を下ろす人たちは、とても
横浜を愛してやまないようです。
そういう根を下ろす人で、
横浜を愛する人たちがたくさんいたので
「三日住めば、ハマっ子」
なんて、洒落た言葉が生まれたのかもしれません。
ま、僕的には
「ハマっ子は、横浜を愛して、三日も住めば、ハマっ子」
なんて思ったりもします。
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