[PR] 外貨 投資 ハマには浜を! » ハマ浜 通信

    横浜が紹介されている月刊誌情報

    実行委員会Sです。

    オズマガジン最新号は
    『横浜さんぽ』
    1/22発売  定価:380円
    http://www.ozmall.co.jp/ozmagazine/

    このブログで何度取り上げてる象の鼻地区も
    出ています。

    オズマガジンの上記URLでインターネット立ち読みが
    出来るのですが、例のクレーンの写真もあります。
    何ともノスタルジックな雰囲気でよいとあったと
    思うのですが、、、、

    無くなっちゃいますから、今がラストチャンスですよ。
    ノスタルジックな象の鼻(^_^;

    記事では、象の鼻との記載ではなく、BLUE BLUE YOKOHAMAの
    前の波止場となっていたと思います。

    時々、象の鼻の状況や近隣のまちの出来事は、ハマ浜通信の
    特派員ハマのタマちゃんが、これからもお届けします(笑)

     

    コメント (0) トラックバック (0)

    トンビ注意報?

    実行委員会Sです。

    ハマのタマちゃん特派員より、トンビ注意報です(笑)

    というか、江ノ島方面だけじゃなく、山下公園でもトンビが
    人が持ってるものを奪いに急降下するとは・・・
    知らなかった。

    笑い話になりません、湘南方面は洒落になってませんから。
    僕も江ノ島近くで、マクドナルドを取られそうになりました。
    危ないですよ、、、あれは。

    みなさんも山下公園など、散策時にはトンビに注意してくださいね。
    怪我をしてしまうことがありますので。

    では、特派員の21日の山下公園の模様です。


    21日、日曜日の山下公園   

    ベンチが並んでいる上空。

    鳶が旋回しています。
    数えると18羽。
    その真下にはベンチで中華マンを食べている家族連れ。

      マズいっ!

    と思った、その瞬間ベンチの背中側を低空飛行して来た一羽に
    大きな中華マンがさらわれた。
    残りの鳶は大騒ぎで低空飛行して来、騒然とした雰囲気。

    開発して観光客を増やして、中華マンが好物の鳶や
    鳩と一緒に足元でポップコーンを待つかもめを増やすの?
    それより鳶やかもめが幸せに過ごせる横浜が私は良いな!

    ハマのタマちゃん記

    コメント (2) トラックバック (0)

    古き良き未来・・・の横浜?

    実行委員会Sです。

    主催:国土交通省関東地方整備局港湾空港部
    みなと発見 いいとこ 悪いとこ コンテスト
    http://www.tokyo1.jp/kekka/04k_k_b/kekka_04k_b.htm

    審査結果発表されています。
    ——-
    神奈川エリア 悪いとこ 最優秀賞

    後藤敬司(男性・40代)
    コメント-港から見る景色は、近代的で綺麗だが、
    やはり自然の部分が少ないし、岸壁近くの水が汚い。
    都市開発も、遠景の綺麗さを求めるだけでなく、
    足元が重要ではないだろうか。

    山下公園前

    ——-

    山下公園前の海水は以前に比べると臭いもなく
    水も透き通った方だと思います。

    けれども、ハマ浜通信でもふれたように、上から
    見下ろす岸壁よりも、直に見て触れられている砂浜
    が欲しいです、とっても。

    そこから、また違った悪いこと?いいとこ?が
    見えてくると思います。

    近代的というのは、今の瞬間でのお話です。
    開港200周年の時に、果たして近代的な街並みは
    その時代を生きる人たちにどう写るのでしょうか?

    横浜には、関東大震災を何とかくぐり抜け佇む
    レンガ作りの建物も存在します。

    エージングを重ねた街並みが、その積み重ねた時をも
    雰囲気に醸し出すような、そんな街造り・・・

    時間を積み重ねること、エージングで雰囲気が増す街並みは
    決して、技術で再現できないのではと思います。
    ジーンズのユーズドルックと同じように白々しくなって
    しまう気がします。
    横浜ならば、エージングが進んで、雰囲気をかもし出す街並み・・・
    出来る気がするのは、私だけなのでしょうか?

     

    コメント (0) トラックバック (0)

    山内ふ頭周辺地区

    実行委員会Sです。

    ポートサイド地区

    はまの景
    http://album.hamacco.net/

    の画像をちょっと加工したものです。

    以前、記事にもしました山内ふ頭再開発地区を
    わかりやすく、囲ってみました。
    ちょっと古い写真で、まだベイクオーターが存在してません。(^_^;

    しかし、再開発って、あっという間に決まって、
    あれよ、あれよと開発されるのだなぁ、、、と
    改めて感じる写真でもあります。

    なかなか機会がなく、山内ふ頭散策が出来ませんが、、、
    現地の雰囲気を知るべく、散策の必要性を改めて感じる
    写真となりました。

    お近くにお住まいで、ハマのタマちゃん特派員のように
    感じたことがあったり、写メールなど頂けるとうれしい
    限りです。

    宛先は、blog@hamahama.jp

    文章、感想、句に俳句などなど、タイトルのみでも
    OKです。
    お待ちしております(^_^)

    参考URL
    横浜市 都市整備局ホームページ
    http://www.city.yokohama.jp/me/toshi/tikukeikaku/c-062m.html

    コメント (0) トラックバック (0)

    象の鼻 子象地区?

    実行委員会のSです。

    ちょっと前にも「カモメのストライキ」の投稿を頂きました
    ハマ浜の会員のハマのたまちゃんより、画像が届きましたので
    紹介します。

    象の鼻

    ハマのタマちゃんは、ハマ浜通信の特派員に任命されました(笑)

    海岸通りに住んでいらっしゃいますので、日々の何気ない風景、
    びっくりするようなお話を聞けます。

    今回は、再開発が始まる新港ふ頭に、ひょこりと顔を出した昔の
    赤レンガのあとの写真です。

    写真にもある赤レンガは、調査するのでしょうか?

    横浜みなと地区の日々の日常をこれからも
    特派員ハマのたまちゃんがお届けします(笑)

    コメント (0) トラックバック (0)

    三日住めばハマっ子

    編集部 石橋です。

    「江戸っ子は三代続かないと江戸っ子といわれないが、
     ハマっ子は、三日住めばハマっ子」

    ハマっ子でもある随筆家の故青木雨彦さんの名言といわれています。

    保土ヶ谷宿や神奈川宿は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場です。
    東海道や各街道が整備され、きっと人が行きかう町だったのでしょう。
    江戸時代、現在の横浜市域に住んでいた農民の識字率は大変高かった
    といわれています。

    村役人は農民の身分でありながら、旗本や代官に代わって村政を担う
    ことを求められた結果だそうです。

    当然といえば、当然ですが、そういう農民の中には
    読み書き、算術にとどまらず、俳句や短歌、生け花、碁など
    文化活動をおこなうものも現れていたそうです。

    こうして考えると、開港以前から人が行きかい、当然
    それとともにいろいろな文化なども入ってきていたと
    思います。

    さまざまな文化を受け入れる風土みたいなものが、今でいう市民の
    農民に、江戸時代にゆっくりと浸透していたのかもしれません。

    開港後に、外国の異文化を受け入れる風土が市民レベルであったのかな
    と考えます。

    開港後は、急激に整備が進みます。
    これにともない、文化だけでなく、たくさんの人たちが横浜に住み着く
    ことになったのでは、と想像します。

    先の風土が、文化のみならず、人までも受け入れることに躊躇が
    なかったのかなぁ、、、、と思うのでした。
    私も横浜に根を下ろしたとき、違和感がなかったのでした。

    そして、不思議なことに、横浜に根を下ろす人たちは、とても
    横浜を愛してやまないようです。

    そういう根を下ろす人で、
    横浜を愛する人たちがたくさんいたので

     「三日住めば、ハマっ子」

    なんて、洒落た言葉が生まれたのかもしれません。

    ま、僕的には

     「ハマっ子は、横浜を愛して、三日も住めば、ハマっ子」

    なんて思ったりもします。

    コメント (0) トラックバック (0)

    開港当時を知る波止場

    実行委員会Sです。
    象の鼻のメールを頂いたので、ちょっと
    歴史を調べてみました。

    ——–
    1854年3月3日 日米和親条約

    ペリー提督が横浜村へ来航、現在の横浜開港資料館に現存する
    「玉楠の木」を目印に上陸し、幕府と条約を結びます。
    開港広場には、ひっそりと日米和親条約調印の記念碑が立ちます。
    これにより、下田と箱館(函館)が開港されます。

    それから、4年・・・

    ——–
    1858年6月19日 日米修好通商条約

    アメリカ総領事ハリスが先の条約に基づき、下田に着任します。
    ハリスは、幕府と粘り強く交渉し、日本との貿易に関する条約
    日米修好通商条約が金沢区沖に停泊するアメリカ軍艦「ポーハタン」
    の船上で調印されることになります。

    ——–
    1859年6月2日

    日米修好通商条約に基づき横浜、長崎、新潟、神戸が開港されます。
    のちに下田は閉鎖され、横浜、函館、長崎、新潟、神戸の5港が
    開港されたことになります。

    ——–

    と、ざっくりですが、こういう経過でアメリカ領事ハリスの
    外交努力により、横浜は開港されます。

    歴史的に見て、「横浜」という文字が文献に初めて見られるのは
    室町時代、応仁の乱のちょっと前になります。
    それから400年あまりのち、開港により、国際港湾「横浜」が
    産声を上げたことになるのでしょう。

    開港時、砂州の中央部あたり、二条の突堤が築かれます。
    これが、西波止場、東波止場になります。
    そして、背後に鉄桟橋(現在の大さん橋の原型)が造られます。

    東波止場といわれても、ピンとこないので、愛された名称
    象の鼻がこれに当たります。
    イギリス波止場とも言われています。

    同じ時期に、フランス波止場も造られています。

    現在、
    西波止場側は、新港ふ頭という形に姿を変え、
    フランス波止場は、関東大震災後の瓦礫で造成され、山下公園と
    なりました。

    関東大震災で被災した象の鼻ですが、その後修復され
    今に至ります。
    そして、再開発により、その姿を変えることとなります。

    開港から150年、当時の様子をわずかに残した象の鼻が
    姿を消し、近代化した象の鼻になります。

    そうして、開港当時の総ての波止場が横浜から姿を消すことに
    なるのでした。
    参考URL
    イギリス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/port/general/zounohana/inf_zou/03.html
    フランス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/naka/sighthist/sanpo/rekisi/rekisi-22.html

    コメント (0) トラックバック (0)

    ハマの 『 リカコ 』

    実行委員会Sです。

    みなとみらい・・・
    ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの
    夜景です。

    ハマの「リカコ」

    1981年に市民公募により、『みなとみらい21』と
    名称が決まり、早25年です。
    インターコンチネンタルが開業したのが1991年。

    当時は、何にもない空き地でした(^_^;
    あまりに何もなく、インターコンチネンタル従業員用の
    シャトルバスを駅まで走らせていたそうです。

    みなとみらい地区は、西区と中区にまたがり、面積は
    1.86平方キロメートル、そのうち、埋め立て面積は
    0.76平方キロメートルになります。

    ハマの『リカコ』

    上の画像でお気づきでしょうか?
    インターコンチネンタルの青く光ってる部分です。

    ホテル先端部の頭頂部に、船を安全な航海に導く
    平和のシンボルとして女神像「みちびき」が佇ん
    でいます。

    この女神の名・・・「リカコ」です。

    ホテルの開業から15年ちょっと、女神
    ハマの「リカコ」は横浜港をそっと見守っています。

    ハマの「リカコ」

    どうぞみなさん、近くを通ったら、ハマの「リカコ」を見つけてみてくださいね。

    コメント (0) トラックバック (0)

    カモメのストライキ?

    実行委員会Sです。

    ハマには浜を!の会員の方で、海岸通りに在住の方から
    面白いメールが来たので、ご紹介します。

    以下メールです。

    ———-

    おはようございます!

    毎日良い天気!
    今朝も象の鼻地区は唸りを上げて工事中。

    警戒船をしりめに、カモメ達は、象の鼻の上で
    ひなたぼっこ。
    ここは私たちの物と言わんばかりに三列程に整列して。

    ここから見ると白い帯に見えるから数百いるねキット。
    まるで座り込みのストライキのようですよ。
    いい光景なんだよなぁ、、、カモメ達のひなたぼっこ。

    象の鼻地区 開発風景

    ———-

    日常の風景を感じますね(^_^)
    カモメたちは、開発後どこへ行くんでしょうか?(^_^;

    みなさまの中でも日常で感じたことなどあったら
    ぜひ、お教え下さいませ。

    追記
    メールを頂いた方にブログの掲載のことを
    お話ししましたら、今日の午後の象の鼻と
    かもめ達の画像を頂きました(^_^)

    象の鼻のかもめ達

    コメント (0) トラックバック (0)

    神奈川県下電気発祥の地

    街灯というと、馬車道の日本最初のガス灯点火が
    有名です。

    神奈川県最初の火力発電所はどこで造られたか?
    みなさん、ご存じですか?

    なんと、中区の常磐町です。

    関内のベースターズ通りには、「神奈川県電気発祥の地」の碑もあります。
    有限責任横浜共同電灯会社が1889(明治22)7月に設立され、11月に
    認可がおりました。

    そして、1890(明治23)年2月に常盤町1丁目9番地に火力発電所が
    設けられ、9月に竣工、10月から営業を開始、エジソン社製発電機を
    4基つかった直流による電灯事業です。

    当初、「関内および居留地」を営業区域として許可されスタートしています。
    この場合の関内ですが、開港当時、攘夷派の浪士による外国人襲撃事件
    の続発があった際に、警備強化のために「関門」を設けた際の内側のこと
    、「関内」と呼ばれ、関内という地名が生まれることになります。

    当初、電気の需要は少なかったものの、「関外」を営業区域としながら
    事業に着手していなかった横浜電灯会社の営業権を吸収、全市を営業
    区域とします。

    1898年には新高島町に新発電所を建設し、社名は横浜電気株式会社
    となり、1921(大正10)年には、東京電灯株式会社と1対1の対等条件で
    合弁することになります。

    これが、私たちハマ浜の見学でお世話になっている東京電力株式会社の
    前身となるのでした。

    ちなみに、横浜の電灯事業は、日本で6番目になります。

    参考URL:
    「電気が見た”KANAGAWA”今むかし」の展示ゾーン
    煙突のある建物が、常盤町に造られた発電所です。

    電気の資料館
    http://www.tepco.co.jp/shiryokan/sp01-j.html

    1/14追記
    タイムスリップよこはま - 関内駅周辺
    神奈川県電気発祥の地(地図もあります)
    http://www.timeslip-y.jp/kannai/denki.html

     

    コメント (0) トラックバック (0)