「横浜を食から考える」 坪倉良和さん取材記
横浜中央卸売市場 本場
皆さんは、どこにあるか?ご存知でしょうか。
横浜そごうからベイクオーターへ抜けた、その先にあります。
偶然、坪倉氏とお会いすることになる濱の夕市へお邪魔する
まで、私は知りませんでした。
横浜中央卸売市場は、1931(昭和6)年に開設、市内の公設市場として、
よく知られている南部市場とともに、横浜市民350万人の台所としての
機能をしています。
水産仲卸93社、青果仲卸30、関連事業者52の175社が、
横浜を支えていると言えます。
坪倉良和氏は「食」を通して、さまざまなことにアプローチしています。
そのパワルフさにはいつも驚かされ、勇気をもらいます。
その活動のルーツは、坪倉氏が横浜市中央卸売り市場 活性化委員会
委員長になった3年ほど前にさかのぼることになります。
昭和という時代に大量消費の波が訪れ、大型店舗が全国に広まります。
町の交流の役目も担っていた個人商店が並ぶ商店街は、大きな時代の
波に翻弄され、中には姿を消してしまったところもあります。
「活性化委員会」が立ち上がるのですから、この時代の波は、横浜中央卸
売市場本場にも少なからず、影響を与えたことは、言うまでもありません。
「出る釘は打たれる」といわれますが、前人未到の試みを続ける坪倉氏に、
苦労は絶えないはずですが、会う度に、いつも満面な笑顔です。委員長に
なった当時のことを聞くと、一人で声を上げて騒いでるような状態だったよ、
と笑ってます。
夢を信じて止まない一人の確信犯が、情熱を持って行動するのです。
その情熱が伝染しないわけがありません。ひとり、ひとりと覚悟を持って、
「出る釘」となっていったようです。
坪倉氏を中心とした「出る釘」から「出すぎた釘」の仲間たちは、
「濱の朝市」、「濱の夕市」、「日本丸のバザー」など積極的に
活動を広げていきます。
「出すぎた釘は打たれない」と聞いたことがあるのですが、変革と
いうのはそういう覚悟を持った人たちから起きるのかもしれません。
2004年、坪倉氏の活動から「濱の河岸ぱん」という商品も産み落とされ、
ひとつのシンボル的商品となっています。
戦略的にこういう商品を作るのが、マーケティングといわれるものでしょう。
ところが、「揚げたての薩摩揚げをなんとか多くの人に」という思いが先で、
この商品が生まれたと聞きます。
「食」をとことんまで考え、その先の消費者を見つめて、真剣に向き合っている
坪倉氏らしいエピソードではないでしょうか。
大きな変革には、必ず、拒絶反応も起きますが、それに負けない情熱を
持ち続け、活動し続けた坪倉氏たち、メディアは少しずつ取り上げたり、
他団体が参加したり、風が吹き始めます。
時代もその風に、答えるかのように、「スローライフ」から派生した
「スローフード」運動が、日本で注目されることになります。
不思議なもので、横浜スローフード協会が、ほぼ同時期に立ち上がり、
横浜で「スローライフフェア」が開催され、今年もおこなわれました。
坪倉氏は、「地産地消」という言葉か注目される以前から、神奈川、
横浜の食べ物を捜し求め、あちらこちらに出没しては、行動し、思いを
繋げていきます。
以前、軽く話の中で私の自宅の近くの変わったパン屋のことを話したら、
しっかり、食べに来ていたようです。
そして、2007年11月17日に「濱の市」は新たな段階へ進むべく、
リニューアルオープンをおこないます。
いろいろな商店などが集まり、中央卸売市場にホットな場所が
生まれようとしています。
「面白そうでしょ?」
取材の際に、そう濱の市を説明してくれる坪倉氏の情熱は、
出会ったあの時と少しも変わらないどころか、さらに熱く感じたのでした。
参考Web
「濱の朝市」、「濱の夕市」などの
開催情報など、公式ページをご覧ください。
濱の市 ホームページ
http://hamaichi.boo.jp/




