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    神輿、コラボレーション、始まり、始まり

    神輿、コラボレーション、始まり、始まり

    横浜開港150周年を祝って
    神奈川県下から17の神輿が駆けつけてくれました。

    今日の伊勢佐木は暑いし熱い

    ハマ浜通信特派員 ハマのタマちゃん

    編集部 石橋 追加画像

    横浜開港150周年 みこし コラボレーション ポスター

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    愛媛県西予市三瓶町周木 砂浜にて

    愛媛県西予市三瓶町周木

    愛媛県の南西部はリアス式海岸になっています。

    ここで一句

      五月雨もなく人のかげさえもなく

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    随筆家青木雨彦さん宅訪問 ハマ浜新聞編集長取材記

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その1

    横浜は本当に坂が多い。

     「ハマ浜新聞」夏号の記事「三日住めばハマっ子」

    を読んで頂いた青木雨彦さんの奥様。
    横浜を愛した故雨彦さんのお話しを伺いに
    保土ヶ谷の坂を登った。

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その2

    17年前亡くなられるが
    書斎はそのままに。。。

    青木雨彦さんの一日について聞いてみた。

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その3

    朝6時に起床、新聞8種類を読み。
    サイホンで珈琲を引く、その時、
    今日書く原稿の書き出しを考えるそうで

    話しかけててはいけなかったと、奥様は語ります。

    コラムのネタは
    約10紙の新聞から。
    「ハマには浜を」の事、

    昔、本牧から桜木町まで見渡せる長い砂浜があって
    「横浜」というそうです。
    今は砂浜がひとつしかない。などお話しすると

    「主人もきっと参加したでしょう。」

    と言ってくださいました。
    とても明るく楽しんでお話ししてくださいました。
    とりあえず、お話しを聞けて良かった。

    再度、記事を書いた石橋さんと取材をお願いしたいと
    約束をかわし 玄関に飾ってある村上豊さんの絵に感動しつつ
    また 坂を下って行きました。
    ハマ浜新聞編集長 伊藤久美子

    【編集部追記】

    世の中繋がっているとか、世間は狭いなどと言われます。

    まさか、青木雨彦さんの引用から、記事を自分が書いたことが
    きっかけにご家族、それも奥様と繋がるとはびっくりです。
    伊藤編集長の人脈の恐ろしさもありますが(^_^;

    個人的にですが、まぁ、何とも不思議な感じを得ています。

    世の中、繋がっている・・・

    環境問題でもそうですが、一見全然違う地球のどこかの歪みが
    現れてくる恐ろしさ・・・

    世代間での交流が少ない今・・・

    おもいをつなげて、砂浜を再生させる活動は、
    さまざまな他の問題へのアプローチのきっかけにもなります。
    みな繋がっているのだから・・・

    そういうハマ浜の活動を目指すと、改めて思う出来事でした。

    実行委員会 石橋

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    エキゾチック横浜  池波正太郎の歩いた横浜

    小学校の五年生のころだったとおもう。
    長らく東京に住んでいた母方の親類が横浜の
    磯子へ転居したので、祖母が、

    「荷物をもって、ついて来ておくれな。五十銭あげるよ」

    といったので、むろん、ついて行った。

    上野駅から桜木町駅までの道程は、
    とても高田の馬場どころではない。

    学校の遠足は別として、私にとっては、
    初めての大旅行だった。

    電車の窓から海が見え、汽船が見え、
    さまざまなクレーンが見えた。

    桜木町から乗り換えた市電で磯子へ行くまでの間、
    海はもっと近くにせまってきた。

    中略

    それから何度も出かけた。

    しだいに深入りをして、
    ホテル・ニュー・グランドへ泊まり、朝から夜まで
    港を歩きまわり、少しも飽きなかった。

    そのころの横浜のエキゾチシズムを何と語ったらよいだろう。

    「散歩のとき
     何か食べたくなって」

          池波正太郎 新潮文庫

    からの抜粋です。
    磯子までの市電への道程が、海がせまってくる・・・
    う~ん、、、素敵です。

    今では想像も付きません。
    当時の弁天通や山下通の素敵な雰囲気も書かれています。
    まるで、どこか別街のような(^_^;

    何かが始まる、そう、素敵な何かが始まりそうな予感

    流れる時を積み重ねても、どんな世代にとっても、
    そんな街で、いつまでもあって欲しいなぁ、、、横浜。

    そうそう、今でもとっても変わらないと思った文をご紹介。

    当時の横浜の人びとは、明治以来の開港時の人情と、
    きっぱりとした気性が濃厚に残っていて、ことに若い
    女たちの明るい、奔放ともいえる言動と人懐っこさが
    私を驚かせた。
    それは東京の女たちにはない、一種、特別なものだっ
    たようである。

    いや全く!と思いますよ、今現在の横浜も。
    唯一訂正させていただけるなら、「ことに若い」という部分。
    横浜の女性の皆様は、今もなお

    人情ときっぱり!そして明るく、しゃっきりした言動、
    人懐っこさは素敵ですよ!

    と池波正太郎さんも思うことでしょう(^_^)
    だって、ハマには浜を そんな女性の方々にたくさん
    助けて、励まされて頂いています。

    青木雨彦さんの例の洒落た言い方をすれば、
    池波正太郎さんも十二分に「ハマっこ」ですね(^_^)

    実行委員会 石橋

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    「海辺の情景」 広島県福山市 鞆の浦(とものうら)

    鞆の浦 その3 広島県福山市

    鞆の浦 その1 広島県福山市

    輸送手段を船に頼っていた時代から
    この港は「汐待ちの港」として栄えていた

    とくにここから西の島々(現在では、しまなみ街道)
    は瀬戸内海の難所として恐れられていたらしい

    瀬戸内の潮差は大きい、時には地響きをたてて流れることも、しばしばで、
    昔の木造船などで流されたら、ひとたまりもなかったであろうことは想像がつく

    鞆の浦 その2 広島県福山市

    そこで、ほどよい潮の流れを待つための停泊港が
    この 鞆港 だったのである

    今 この歴史ある港が微妙な立場にたたされている
    景観保護か地元生活優先か

    鞆の浦 その4 広島県福山市

    景観保護を優先した場合、緊急車両等の通行が不便なままとなり
    地元生活優先となった場合、とうぜん景観は変わってしまう

    難しい選択だ・・・

    ハマ浜特派員 三東寛

    【編集部追記】
    ウィッキペディア フリー百科事典
    「鞆の浦」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86%E3%81%AE%E6%B5%A6

    自然と生活の狭間・・・
    三東さんが指摘している開発に関して、ウィキペディアの
    「鞆の浦」の項目に説明がありますので、ご覧頂くと状況が出ています。
    上記、URLで見ることが出来ます。

    環境問題は、どちらかというと人間の欲の部分とのジレンマを
    感じますが、この場合、欲というよりは生活に密着している分、
    更に、問題を難しいなぁ、、、と感じました。

    どういう選択を取るにせよ、その結果は、今後、他の地域での
    まちづくりにとって重要なケースとなりうると感じます。

    私たち横浜にとっても、その結果を十分に生かすことが大切だと感じました。

    実行委員会 石橋

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    丹後半島 静御前の海 京都府京丹後市網野

    「砂浜」 その1

    「砂浜」 その2

    京丹後市の網野町は
    日本海に面しています。
     
    ここに
    源義経の思い人「静御前」を祀ったお宮さんがあります。

    「静神社」

    それは
    海に面した「磯」という名の漁村の高台にあり
    この地で
    静御前は生を受けた、と伝承されています。

    「静神社から磯の集落を望む」
     
    そういえば
    静御前の母の名は“磯のぜんじ”……
     
    源義経は
    「腕っ節が自慢」の水夫をスカウトしに訪れ
    この「磯」の集落からも
    「屈強な若者が“壇ノ浦の合戦”に出陣した」
    といわれています。
     
    また
    義経一行は
    「磯」の人達が差し入れた心尽くしの弁当をとても喜んだ
    とも伝えられています。

    「紫陽花」

    ハマ浜特派員 加藤博

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    象の鼻 タマちゃんの定点観測日記 その7

    象の鼻 定点観測

    スッキリと平らになりました。
    日曜日以外、毎日ユンボのうなり音が部屋に入って来ています。

    ハマ浜特派員タマちゃん

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    山下公園 横浜の日常 特派員情報

    山下公園にて

    ブルーライトという名のバラ 向こうは氷川丸

    ハマ浜特派員 sato

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    鶴見川水系、その文化圏と交通

    陸の話をしたので、今度は水辺・・・の話をちょっとだけ。

    その昔鶴見川は、今で言うハイウェーにあたる重要な
    交通路でした。
    当然そうなると水域周辺地域に文化が育まれます。

    最も奥と考えられるのが、
    都筑郡衙(ぐんが)と考えられている

    ・長者原遺跡
    ・稲荷前・市が尾古墳群

    があります。
    市が尾と聞くと意外と内陸だなぁ、、、と感じるかも
    しれませんが、東京電力のトゥイニー塔から見ると案外海に近いです。

    鶴見川水系を特徴づける神社として
    「続日本後紀」「延喜式」神名帳に名が載る
    市域唯一の式内社の杉山神社

    お城では、水系に面して

    茅ヶ崎城
    小机城
    榎下城などなど

    城址が残っています。

    更に、弥生時代の古墳などあります。

    こうして考えると、横浜という地名で捕らえず
    地域で捕らえると、実はず~と歴史のある地域である
    とも考えられますね。

    実行委員会 石橋

    実は、歴史は苦手なんですよ(^_^;
    近々、江戸の歴史と言えば、この人!という
    知人に特派員をお願いしようと思ってますので、
    お楽しみに!

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    横浜の文字が始めて登場したのは・・・

    その昔、横浜市域を、

    武蔵の国
    相模の国

    と古道の武相国境道で分けることが出来ます。

    武蔵の国は、都築郡、橘樹郡、久良木郡、
    相模の国は、鎌倉郡

    で構成されていました

    現在の横浜は、環状線の整備を進め、各区の
    往来がかなり便利になってきています。

    都市の発展には、ローマ街道などに代表されるよう
    道路が整備されることは重要です。
    また、水辺にあたる水域、港も重要です。

    横浜に目を移してみますと、

    矢倉沢往還
    中原街道
    東海道

    が横浜市域を貫くように整備され、その中の東海道は
    神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿と3つの宿場が発展します。

    また、起点が八王子という

    八王子街道

    は、終点の神奈川湊へのびています。
    古道として、都市を結んでいたのにはいろいろな意味が
    あったのでしょう。

    近年の神奈川湊の発展、小麦などを現在の千葉へ
    神奈川湊から運び、味噌や醤油の原料としていた
    とされますので、八王子、神奈川、千葉と結ぶ、陸、
    海運の一本道をイメージできます。

    横浜村という名称が、今現在発見されている文献で
    最初に登場するのは、

    応仁の乱から20年ほど前、1442年

    室町時代のことです。

    横浜を含んだ久良木郡一帯は平子郷と呼ばれ、
    平子氏が支配している地域とされていました。

    この領主平子氏の石河法生寺へ宛てた薬師堂免田鼻の
    寄進状に「横浜」の文字が登場し、初めてとされています。

    実は横浜、お寺など、意外と古い歴史もたくさんあったりします。

    本日はこの辺で、、、、

    実行委員会 石橋

    追伸
    伊藤編集長のご自宅付近を、武相国境道が横切ってますよ(^_^;
    みなさんの住んでいる、すぐそばに古道が眠っていたり、走って
    いたり、まだ発見されていない何かがあるのかもしれません。

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