横浜の文字が始めて登場したのは・・・
その昔、横浜市域を、
武蔵の国
相模の国
と古道の武相国境道で分けることが出来ます。
武蔵の国は、都築郡、橘樹郡、久良木郡、
相模の国は、鎌倉郡
で構成されていました
現在の横浜は、環状線の整備を進め、各区の
往来がかなり便利になってきています。
都市の発展には、ローマ街道などに代表されるよう
道路が整備されることは重要です。
また、水辺にあたる水域、港も重要です。
横浜に目を移してみますと、
矢倉沢往還
中原街道
東海道
が横浜市域を貫くように整備され、その中の東海道は
神奈川宿、保土ヶ谷宿、戸塚宿と3つの宿場が発展します。
また、起点が八王子という
八王子街道
は、終点の神奈川湊へのびています。
古道として、都市を結んでいたのにはいろいろな意味が
あったのでしょう。
近年の神奈川湊の発展、小麦などを現在の千葉へ
神奈川湊から運び、味噌や醤油の原料としていた
とされますので、八王子、神奈川、千葉と結ぶ、陸、
海運の一本道をイメージできます。
横浜村という名称が、今現在発見されている文献で
最初に登場するのは、
応仁の乱から20年ほど前、1442年
室町時代のことです。
横浜を含んだ久良木郡一帯は平子郷と呼ばれ、
平子氏が支配している地域とされていました。
この領主平子氏の石河法生寺へ宛てた薬師堂免田鼻の
寄進状に「横浜」の文字が登場し、初めてとされています。
実は横浜、お寺など、意外と古い歴史もたくさんあったりします。
本日はこの辺で、、、、
実行委員会 石橋
追伸
伊藤編集長のご自宅付近を、武相国境道が横切ってますよ(^_^;
みなさんの住んでいる、すぐそばに古道が眠っていたり、走って
いたり、まだ発見されていない何かがあるのかもしれません。




