[PR] 外貨 投資 ハマには浜を!

    「神戸・須磨浦公園 戦の濱」

    神戸・須磨浦公園

    源氏軍と平家軍が激突した浜辺です。

    この浜辺に陣をしく平家軍団に
    騎馬の義経一行は
    背後の絶壁を駆け下りて奇襲しました。
    この“蝦夷(エミシ)流”の戦法で勝利した源義経は
    一躍「時の人」となったようです。

    やがて
    その義経も
    兄・頼朝に追われる身となり
    「奥州・平泉で短い生涯を終えた」
    といわれていますが
    そうではなく
    「義経さんは戦火を逃れ
     津軽から蝦夷ケ島に渡って生き延びた」
    と信じている人もたくさんいます。

    公園の西には
    この合戦で命を落とした(まだ十代!)
    「平敦盛」の供養塚がありました。

    神戸・須磨浦公園 戦の濱

    写真データ
    06年9月2日撮影、神戸市須磨区一ノ谷町

    — 宝塚の加藤さまより寄稿頂きました。—

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    「間人(たいざ)の浦」

    間人(たいざ)の浦 その1

    「間人」と書いて「たいざ」と読みます。

    京都府北部にある静かな浜辺です。
    聖徳大使の母君
    「間人(はしうど)皇后」にゆかりのある漁村です。

    間人(たいざ)の浦

    間人(たいざ)の浦 その2

    むかし
    大和の都で権力闘争が激しかったころ
    間人(はしうど)皇后は幼い聖徳大使たちが
    テロに巻き込まれることを避けるため
    日本海に面する
    この浜辺の集落に身を寄せられたそうです。

    やがて都での争い事も収まり
    皇后様が都にお帰りになる時、
    この海辺で暮らす人々の優しさと思いやりの深さに打たれ
    感謝の印として
    「間人村」と御自分の名を残されたそうです。

    人々は
    皇后様の御名前を「そのまま呼び捨てにすることは恐れ多い」と
    この地を無事に“御退座”されたことを「誉れ」とし
    「たいざ」と読むようになったということです。

    今は
    この海で採れる「間人ガニ」が美味で
    特に有名です。

    間人浦=06年4月撮影、京都府京丹後市丹後町間人

    —–
    実行委員会Sです。
    宝塚の加藤さまから、「全国の砂浜」の投稿を頂きました。
    ありがとうございます!

     

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    【終了】横浜火力発電所 トゥイニー・ヨコハマ見学会 1/27(土) 15:00~

    日 時 : 平成19年1月27日(土) 15:00 ~ 見学スタート
    集合場所: 神奈川県横浜市鶴見区大黒町11-1 横浜火力発電所内
              PR館 トゥイニー・ヨコハマ1F

      私たちに一番身近な海、港。横浜に浜を作りたいと考えたときに、
      横浜の持つ 『港』 という機能を知ることは、大事ではないか?
      そういう考えからスタートしてます、港湾見学です!

     ==============================================
      ☆当日、ハマには浜を!の実行委員会のお世話係が、
       ・PR館 トゥイニー・ヨコハマ1F入り口 など、
       におります。
     ==============================================
     ■標準見学コース
     ・発電所の紹介ビデオの上映【約30分】
     ・発電設備ご見学【30分】 (タービン、中央操作室を窓越しにご見学)
     ・展望室ご見学【30分】

    を予定しています。トゥイニー・ヨコハマの展望室は、羽田、千葉、本牧から
    新横方面まで、港湾利用企業など、さまざまなものが一望できます。

     ● 応募方法
      ・ お名前
      ・ ご住所
      ・ 生年月日
      ・ ご連絡先お電話番号

     以上をメール blog@hamahama.jp へ頂きますか、もしくは
         FAX 045-663-7426 にて申し込みください。

     ●締め切り
      1月20日(土)

      ※締め切りを過ぎてしまった際など、メールにてご相談ください。

    ~~~ アクセス ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
    ■電車
     JR京浜東北線で鶴見駅下車(東口)または
     京浜急行で京急鶴見駅下車

      横浜市営バス(1)、(2)番乗り場より、
          17系統に乗車、「横浜火力発電所前」下車
                         ※乗車時間約20分
       鶴見駅前か横浜火力発電所前まで
        土曜
        14時台の予定時刻
        発
        14:10  17系統
        14:17  17系統
        14:25  17系統
      ご参考URL 横浜市営バス
       http://hamabus.jp/ybus/jsp/imode/jp/menu.jsp

    ■車
    ・高速湾岸線「大黒ふ頭I.C.」で降り、生麦方面へ。大黒大橋を渡り右側
    ・国道15号線(第一京浜)から「大黒町入口」交差点を大黒町方面へ、
      直進約2キロ左側
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    詳しくは、東京電力さまホームページ
     http://www.tepco.co.jp/yokohama-tp/info/index-j.html

    ===============================

    ご質問等、メール blog@hamahama.jp をご利用くださいませ。

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    三日住めばハマっ子

    編集部 石橋です。

    「江戸っ子は三代続かないと江戸っ子といわれないが、
     ハマっ子は、三日住めばハマっ子」

    ハマっ子でもある随筆家の故青木雨彦さんの名言といわれています。

    保土ヶ谷宿や神奈川宿は、江戸時代に整備され、栄えていた宿場です。
    東海道や各街道が整備され、きっと人が行きかう町だったのでしょう。
    江戸時代、現在の横浜市域に住んでいた農民の識字率は大変高かった
    といわれています。

    村役人は農民の身分でありながら、旗本や代官に代わって村政を担う
    ことを求められた結果だそうです。

    当然といえば、当然ですが、そういう農民の中には
    読み書き、算術にとどまらず、俳句や短歌、生け花、碁など
    文化活動をおこなうものも現れていたそうです。

    こうして考えると、開港以前から人が行きかい、当然
    それとともにいろいろな文化なども入ってきていたと
    思います。

    さまざまな文化を受け入れる風土みたいなものが、今でいう市民の
    農民に、江戸時代にゆっくりと浸透していたのかもしれません。

    開港後に、外国の異文化を受け入れる風土が市民レベルであったのかな
    と考えます。

    開港後は、急激に整備が進みます。
    これにともない、文化だけでなく、たくさんの人たちが横浜に住み着く
    ことになったのでは、と想像します。

    先の風土が、文化のみならず、人までも受け入れることに躊躇が
    なかったのかなぁ、、、、と思うのでした。
    私も横浜に根を下ろしたとき、違和感がなかったのでした。

    そして、不思議なことに、横浜に根を下ろす人たちは、とても
    横浜を愛してやまないようです。

    そういう根を下ろす人で、
    横浜を愛する人たちがたくさんいたので

     「三日住めば、ハマっ子」

    なんて、洒落た言葉が生まれたのかもしれません。

    ま、僕的には

     「ハマっ子は、横浜を愛して、三日も住めば、ハマっ子」

    なんて思ったりもします。

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    開港当時を知る波止場

    実行委員会Sです。
    象の鼻のメールを頂いたので、ちょっと
    歴史を調べてみました。

    ——–
    1854年3月3日 日米和親条約

    ペリー提督が横浜村へ来航、現在の横浜開港資料館に現存する
    「玉楠の木」を目印に上陸し、幕府と条約を結びます。
    開港広場には、ひっそりと日米和親条約調印の記念碑が立ちます。
    これにより、下田と箱館(函館)が開港されます。

    それから、4年・・・

    ——–
    1858年6月19日 日米修好通商条約

    アメリカ総領事ハリスが先の条約に基づき、下田に着任します。
    ハリスは、幕府と粘り強く交渉し、日本との貿易に関する条約
    日米修好通商条約が金沢区沖に停泊するアメリカ軍艦「ポーハタン」
    の船上で調印されることになります。

    ——–
    1859年6月2日

    日米修好通商条約に基づき横浜、長崎、新潟、神戸が開港されます。
    のちに下田は閉鎖され、横浜、函館、長崎、新潟、神戸の5港が
    開港されたことになります。

    ——–

    と、ざっくりですが、こういう経過でアメリカ領事ハリスの
    外交努力により、横浜は開港されます。

    歴史的に見て、「横浜」という文字が文献に初めて見られるのは
    室町時代、応仁の乱のちょっと前になります。
    それから400年あまりのち、開港により、国際港湾「横浜」が
    産声を上げたことになるのでしょう。

    開港時、砂州の中央部あたり、二条の突堤が築かれます。
    これが、西波止場、東波止場になります。
    そして、背後に鉄桟橋(現在の大さん橋の原型)が造られます。

    東波止場といわれても、ピンとこないので、愛された名称
    象の鼻がこれに当たります。
    イギリス波止場とも言われています。

    同じ時期に、フランス波止場も造られています。

    現在、
    西波止場側は、新港ふ頭という形に姿を変え、
    フランス波止場は、関東大震災後の瓦礫で造成され、山下公園と
    なりました。

    関東大震災で被災した象の鼻ですが、その後修復され
    今に至ります。
    そして、再開発により、その姿を変えることとなります。

    開港から150年、当時の様子をわずかに残した象の鼻が
    姿を消し、近代化した象の鼻になります。

    そうして、開港当時の総ての波止場が横浜から姿を消すことに
    なるのでした。
    参考URL
    イギリス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/port/general/zounohana/inf_zou/03.html
    フランス波止場
    http://www.city.yokohama.jp/me/naka/sighthist/sanpo/rekisi/rekisi-22.html

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    ハマの 『 リカコ 』

    実行委員会Sです。

    みなとみらい・・・
    ヨコハマグランドインターコンチネンタルホテルの
    夜景です。

    ハマの「リカコ」

    1981年に市民公募により、『みなとみらい21』と
    名称が決まり、早25年です。
    インターコンチネンタルが開業したのが1991年。

    当時は、何にもない空き地でした(^_^;
    あまりに何もなく、インターコンチネンタル従業員用の
    シャトルバスを駅まで走らせていたそうです。

    みなとみらい地区は、西区と中区にまたがり、面積は
    1.86平方キロメートル、そのうち、埋め立て面積は
    0.76平方キロメートルになります。

    ハマの『リカコ』

    上の画像でお気づきでしょうか?
    インターコンチネンタルの青く光ってる部分です。

    ホテル先端部の頭頂部に、船を安全な航海に導く
    平和のシンボルとして女神像「みちびき」が佇ん
    でいます。

    この女神の名・・・「リカコ」です。

    ホテルの開業から15年ちょっと、女神
    ハマの「リカコ」は横浜港をそっと見守っています。

    ハマの「リカコ」

    どうぞみなさん、近くを通ったら、ハマの「リカコ」を見つけてみてくださいね。

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    カモメのストライキ?

    実行委員会Sです。

    ハマには浜を!の会員の方で、海岸通りに在住の方から
    面白いメールが来たので、ご紹介します。

    以下メールです。

    ———-

    おはようございます!

    毎日良い天気!
    今朝も象の鼻地区は唸りを上げて工事中。

    警戒船をしりめに、カモメ達は、象の鼻の上で
    ひなたぼっこ。
    ここは私たちの物と言わんばかりに三列程に整列して。

    ここから見ると白い帯に見えるから数百いるねキット。
    まるで座り込みのストライキのようですよ。
    いい光景なんだよなぁ、、、カモメ達のひなたぼっこ。

    象の鼻地区 開発風景

    ———-

    日常の風景を感じますね(^_^)
    カモメたちは、開発後どこへ行くんでしょうか?(^_^;

    みなさまの中でも日常で感じたことなどあったら
    ぜひ、お教え下さいませ。

    追記
    メールを頂いた方にブログの掲載のことを
    お話ししましたら、今日の午後の象の鼻と
    かもめ達の画像を頂きました(^_^)

    象の鼻のかもめ達

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    『横浜 ノスタルジア』写真展 横浜都市発展記念館

    ————————————————

    みなとみらい線開通3周年記念・広瀬始親写真展

    『横浜 ノスタルジア』
     ~昭和30年頃の街角~

    期間:平成19年2月1日(木)~4月15日(日)
    場所:横浜都市発展記念館

    ————————————————
    昭和34年4月に着工した根岸線の工事進捗状況をとらえた貴重
    な写真も展示されているとのことです。
    撮影されたのは昭和36(1961)年8月、背景には2年前に
    竣工した横浜市役所が写り、手前には港橋と派大岡川。

    この後高度経済成長期に入り都市整備が進む中で、派大岡川を
    はじめ市中心部の川は埋め立てられて道路となり、昭和30年
    前後の横浜の面影はだんだんと街から消えていくとあります。

    昨年の『浜の記憶』写真展で展示した写真は、ちょうど同じく
    昭和30年代の根岸、杉田、本牧の海のある風景と埋め立てられ
    てゆく景色を取り上げました。

    磯子区役所所蔵の貴重な写真でしたが、みるみる浜が無くなって
    いく過程がわかります。
    また、浜が当たり前に存在した人々の暮らしが映し出されています。

    本年も『浜の記憶』展はおこなっていくので、是非いらしてください。

    根岸、杉田方面の開発と同じ時期に横浜中心部での開発の様子など

    『横浜ノスタルジア』

    で、感じることが出来そうで楽しみにしています。
    来館した模様や感想は、こちらで報告する予定です。
    参考URL
    http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/
    http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/kika.html

    — 横浜都市発展記念館ホームページ —————————–
    http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

     住所 ■ 〒231-0021  横浜市中区日本大通12
     電話 ■ 045-663-2424
     休館休廊日 ■ 月曜、年末年始他
     交通 ■ みなとみらい線「日本大通り」駅3番出口直結/
         JR関内駅・市営地下鉄「関内」駅下車徒歩10分または
         JR「桜木町」駅から市営バス「日本大通り駅県庁前」徒歩1分
    —————————————————————-

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    鳥取県の白兎海岸

    鳥取県の白兎海岸

    2006年4月 撮影
    鳥取県の白兎海岸です。
    因幡の白ウサギの伝説の舞台となった砂浜です。

    宝塚 加藤さまより

    参考URL
    バイク日記
    http://blogs.yahoo.co.jp/fxd164/archive/2007/1/1

    全国の素敵な砂浜の投稿をお待ちしております。

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    神奈川県下電気発祥の地

    街灯というと、馬車道の日本最初のガス灯点火が
    有名です。

    神奈川県最初の火力発電所はどこで造られたか?
    みなさん、ご存じですか?

    なんと、中区の常磐町です。

    関内のベースターズ通りには、「神奈川県電気発祥の地」の碑もあります。
    有限責任横浜共同電灯会社が1889(明治22)7月に設立され、11月に
    認可がおりました。

    そして、1890(明治23)年2月に常盤町1丁目9番地に火力発電所が
    設けられ、9月に竣工、10月から営業を開始、エジソン社製発電機を
    4基つかった直流による電灯事業です。

    当初、「関内および居留地」を営業区域として許可されスタートしています。
    この場合の関内ですが、開港当時、攘夷派の浪士による外国人襲撃事件
    の続発があった際に、警備強化のために「関門」を設けた際の内側のこと
    、「関内」と呼ばれ、関内という地名が生まれることになります。

    当初、電気の需要は少なかったものの、「関外」を営業区域としながら
    事業に着手していなかった横浜電灯会社の営業権を吸収、全市を営業
    区域とします。

    1898年には新高島町に新発電所を建設し、社名は横浜電気株式会社
    となり、1921(大正10)年には、東京電灯株式会社と1対1の対等条件で
    合弁することになります。

    これが、私たちハマ浜の見学でお世話になっている東京電力株式会社の
    前身となるのでした。

    ちなみに、横浜の電灯事業は、日本で6番目になります。

    参考URL:
    「電気が見た”KANAGAWA”今むかし」の展示ゾーン
    煙突のある建物が、常盤町に造られた発電所です。

    電気の資料館
    http://www.tepco.co.jp/shiryokan/sp01-j.html

    1/14追記
    タイムスリップよこはま - 関内駅周辺
    神奈川県電気発祥の地(地図もあります)
    http://www.timeslip-y.jp/kannai/denki.html

     

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