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    横浜飛天双◯能 横浜三時空 with ハマには浜を

    第11回 横浜飛天双◯能 横浜三時空 07/09/08

    編集部 石橋です。

    NPO法人ケンタウロスが横浜で能を開催して、今回11回目を迎えます。
    NPO法人ハマには浜をは、今回、共催という形でご協力させて
    いただいています。

    なぜ?

    そう思う方も少なくはないのかもしれません。
    ハマ浜ブログの方でも、このあたりを少しずつ取り上げていきたいと
    考えています。

    主催者挨拶を以下に引用させていただきます。
    その中にも、なぜ?ハマには浜をが?という疑問をお持ちの方々が
    なるほど!と感じる、そういうものが含まれています。

    どうぞ、今まで能を見たことがない方、興味がある方、愛する横浜を
    題材にした横浜能楽堂で開催される、はまっ子たちが開催、創作に
    協力した「お能」を愉しんでみてはいかがでしょうか?

    横浜飛天双◯能ホームページ
    http://www.yokohama-noh.com/

    今様能 横浜三時空特設サイト
    http://sanjiku.yokohama-noh.com/

    以下 主催者挨拶文 引用となります。

    謹啓

    深緑の侯、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。

    平素は横浜飛天双◯能に格別のご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。

     お陰様で、ついに、横浜の能が誕生しました。

    『横浜三時空』と遺されております。
    横浜の過去・現在、そして未来の時空を旅する愛の物語です。
    第十一回横浜飛天双◯能で上演いたします。

     さて、「横浜三時空」の制作過程は、専門家だけで
    つくっていく従来の作り方と異なっています。
    まず初めに、横浜の能の物語の種を一般に公募したのです。

    一方では、免疫学者であり、新作能詞章制作者でもある
    多田富雄先生に、その様を元に能の詞章に仕上げて欲しいと
    お願いしたのです。

     先生には、不自由な身体を押して『横浜三時空』の制作に取り組んで
    頂きました。その書き上がった詞章に、観世流鐵仙会シテ方の清水寛二氏が
    謡の節を付けられました。

    現在は、「横浜三時空」の謡い本が能役者の皆さんに手渡され、
    内容の吟味をしながら、稽古を重ねております。

     ですから、この作品は誕生以前に、専門家だけでなく、多くの
    横浜を愛する人々・素人衆に助けられているのです。

    これは、まさに横浜の能・濱っ子能と云えるのではないかと自負しております。

     閑話休題。開港150年記念の祝気分で盛り上がっている横浜昨今ですが、
    150年よりもっと前、遠い昔から、この地には人々の生活があったはずです。
    現在の横浜の発展は、開港という大きな出来事が基点であることは疑問の余地が
    無いことです。

    しかし、その時点から総てが始まったかのように、横浜の歴史を150年間に
    集約して済まし、過去の時間に無頓着であって良いのでしょうか。

    歴史意識の分断によって、日常の生活の中での意識まで分断されると
    いうことがあるのではないでしょうか。

     私は、海岸線に近い地域と、海からわりと距離のある地域との
    「横浜意識」の分断があるように感じるときがあるのです。

    とりもなおさず、歴史はつながっており、土地も、そこに流れる川、
    たどり着く海、そこに暮らす生き物も、もちろん空気もつながっているのです。

    そのことをに気付かされた
    [GREAT YOKOHAMA]という地図もあります。
    (このことについては、公演当日配布パンフレットにて)

     今回の『横浜飛天双◯能』は時空の旅だけでなく、
    浜と陸の物語でもあります。(チラシ参照)

    どうぞ横浜能楽堂で、

    『過去・現在・未来』そして[GREAT YOKOHAMA]の世界を遊んで下さい。

                                    謹白
    平成十九年六月吉日
             横浜飛天双◯能実行委員会 主催者 飯田繁男(修永)

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    横浜開港記念日

    編集部 石橋です。

    以前お話ししました歴史もの、足で歩くということでは
    本当に頭の下がる大先輩に、お忙しいのを承知で
    記事をお願いしました。

    私は学者ではありませんので、これはおかしいんじゃないかなんて
    ところがありましたら、編集部へ連絡下さい。
    確認して間違っているところは速やかに訂正したいと思います。

    とのことで、早速記事を頂きましたのでご紹介します。

    開港150周年の垂れ幕

    まずは6月ですので横浜開港の話から始めたいと思います。

    開港記念広場の日米和親条約の記念碑

    平成21年(2009)に開港150周年を迎える横浜港は、
    安政5年(1858)に締結された日米修好通商条約に基き、
    安政6年(1859)6月2日に開港しました。

    条約締結から開港に至るまで開港場は神奈川の筈で約束が違う
    と言う欧米列強各国に対し、幕府は横浜も神奈川の内であるとし、
    神奈川宿付近は

    ①遠浅で大型船舶の停泊に適さない
    ②東海道に面し警備上の問題が大きい
    ③新たな居住地域等を確保するのが困難である

    との理由をあげ、

    横浜の内海の埋め立て・桟橋の建設・東海道からの連絡道路の建設を
    急ピッチに進め、近在の商人たちになかば強制的に横浜関内地区へ
    出店をさせ、開港場としての横浜を既成事実化しようとしました。

    まぁ幕府にとっては②の警備上の問題が一番大きかったのでしょうね。

    その危惧は文久2年(1862)の生麦事件などにより現実の物となります。
    欧米列強各国も幕府の上げる理由も概ねそのとおりであり横浜の使い勝手が
    そう悪くないこともあり、次第に不満の声は聞かれなくなったようです。

    開港当時の桟橋は、運上所(税関と港湾管理を行う役所)があった現在の
    県庁付近、大桟橋付近、マリンタワーの付近にありそれぞれ名前が
    付けられていました。

    ただ、桟橋といっても、大型船が直接接岸できる訳ではなく、沖に停泊する
    大型船と桟橋の間を伝馬船が往復して荷物の上げ下ろしをする形がとられて
    いました。

    横浜開港資料館では

    当時の荷揚げの様子がジオラマにされ常設展示されていますし、
    中庭には「ペリー横浜上陸の図」の右側に描かれている「玉楠の木」が
    関東大震災・第二次大戦の米軍の横浜空襲の被害から見事に復活し
    青々と枝葉を茂らせている姿を見ることが出来ます。

    現在は当時の桟橋を見ることは出来ませんが、

    象の鼻

    その後間もなく造られた防波堤をかねた桟橋の延長部分が大桟橋の
    根元の北西側に現存していて、「象の鼻」と呼ばれて開港初期の
    横浜港の姿を今に伝える数少ない遺構として大切に保存されています。

    また、大桟橋入り口の開港の道のガード下

    南東側の壁には明治43年当時の横浜港大桟橋付近のパノラマ写真が、
    北西側の壁には明治3年当時の横浜港の中心部であった象の鼻付近の様子を
    描いた浮世絵が大きく掲示してあり、当時の横浜港や象の鼻の様子を
    垣間見ることが出来ます。
    ところで、横浜開港記念日は6月2日ですが、

    これが全く別の日になっていたかもしれないという話が伝えられています。
    当時、アメリカ合衆国は日本を開港させたのは自国であるという自負が
    とても強く、横浜開港の日を7月4日にするように幕府や欧州列強各国へ
    強く働きかけていたというのです。

    なぜ7月4日にこだわるのか?

    世界史に興味がある方ならピンと来たかも知れません。
    そう、1776年にアメリカ合衆国独立宣言が行われた日、
    アメリカ合衆国の独立記念日、という訳です。
    つまり横浜開港記念日が7月4日となれば、
    将来において横浜開港記念日が祝われるたびにアメリカ合衆国が
    思い出される日ともなる筈だった訳です。

    しかし、当時の英国総領事オールコックを中心とする欧州列強各国が
    アメリカ合衆国だけにそのような栄誉を与える筈もなく、また各国とも
    一刻も早い開港を望んでいましたから、アメリカ合衆国総領事ハリスの
    要請を全員一致で拒否し、流石のハリスもこれに従わざるを得なかった
    ということです。

    いずれにせよ、
    横浜開港が日本の歴史にとって一大エポックの始まりの象徴
    となったことには変わりありません。

    ハマ浜特派員 南風亭馬笑

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    神輿、コラボレーション、始まり、始まり

    神輿、コラボレーション、始まり、始まり

    横浜開港150周年を祝って
    神奈川県下から17の神輿が駆けつけてくれました。

    今日の伊勢佐木は暑いし熱い

    ハマ浜通信特派員 ハマのタマちゃん

    編集部 石橋 追加画像

    横浜開港150周年 みこし コラボレーション ポスター

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    愛媛県西予市三瓶町周木 砂浜にて

    愛媛県西予市三瓶町周木

    愛媛県の南西部はリアス式海岸になっています。

    ここで一句

      五月雨もなく人のかげさえもなく

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    随筆家青木雨彦さん宅訪問 ハマ浜新聞編集長取材記

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その1

    横浜は本当に坂が多い。

     「ハマ浜新聞」夏号の記事「三日住めばハマっ子」

    を読んで頂いた青木雨彦さんの奥様。
    横浜を愛した故雨彦さんのお話しを伺いに
    保土ヶ谷の坂を登った。

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その2

    17年前亡くなられるが
    書斎はそのままに。。。

    青木雨彦さんの一日について聞いてみた。

    随筆家青木雨彦さん宅訪問 その3

    朝6時に起床、新聞8種類を読み。
    サイホンで珈琲を引く、その時、
    今日書く原稿の書き出しを考えるそうで

    話しかけててはいけなかったと、奥様は語ります。

    コラムのネタは
    約10紙の新聞から。
    「ハマには浜を」の事、

    昔、本牧から桜木町まで見渡せる長い砂浜があって
    「横浜」というそうです。
    今は砂浜がひとつしかない。などお話しすると

    「主人もきっと参加したでしょう。」

    と言ってくださいました。
    とても明るく楽しんでお話ししてくださいました。
    とりあえず、お話しを聞けて良かった。

    再度、記事を書いた石橋さんと取材をお願いしたいと
    約束をかわし 玄関に飾ってある村上豊さんの絵に感動しつつ
    また 坂を下って行きました。
    ハマ浜新聞編集長 伊藤久美子

    【編集部追記】

    世の中繋がっているとか、世間は狭いなどと言われます。

    まさか、青木雨彦さんの引用から、記事を自分が書いたことが
    きっかけにご家族、それも奥様と繋がるとはびっくりです。
    伊藤編集長の人脈の恐ろしさもありますが(^_^;

    個人的にですが、まぁ、何とも不思議な感じを得ています。

    世の中、繋がっている・・・

    環境問題でもそうですが、一見全然違う地球のどこかの歪みが
    現れてくる恐ろしさ・・・

    世代間での交流が少ない今・・・

    おもいをつなげて、砂浜を再生させる活動は、
    さまざまな他の問題へのアプローチのきっかけにもなります。
    みな繋がっているのだから・・・

    そういうハマ浜の活動を目指すと、改めて思う出来事でした。

    実行委員会 石橋

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    エキゾチック横浜  池波正太郎の歩いた横浜

    小学校の五年生のころだったとおもう。
    長らく東京に住んでいた母方の親類が横浜の
    磯子へ転居したので、祖母が、

    「荷物をもって、ついて来ておくれな。五十銭あげるよ」

    といったので、むろん、ついて行った。

    上野駅から桜木町駅までの道程は、
    とても高田の馬場どころではない。

    学校の遠足は別として、私にとっては、
    初めての大旅行だった。

    電車の窓から海が見え、汽船が見え、
    さまざまなクレーンが見えた。

    桜木町から乗り換えた市電で磯子へ行くまでの間、
    海はもっと近くにせまってきた。

    中略

    それから何度も出かけた。

    しだいに深入りをして、
    ホテル・ニュー・グランドへ泊まり、朝から夜まで
    港を歩きまわり、少しも飽きなかった。

    そのころの横浜のエキゾチシズムを何と語ったらよいだろう。

    「散歩のとき
     何か食べたくなって」

          池波正太郎 新潮文庫

    からの抜粋です。
    磯子までの市電への道程が、海がせまってくる・・・
    う~ん、、、素敵です。

    今では想像も付きません。
    当時の弁天通や山下通の素敵な雰囲気も書かれています。
    まるで、どこか別街のような(^_^;

    何かが始まる、そう、素敵な何かが始まりそうな予感

    流れる時を積み重ねても、どんな世代にとっても、
    そんな街で、いつまでもあって欲しいなぁ、、、横浜。

    そうそう、今でもとっても変わらないと思った文をご紹介。

    当時の横浜の人びとは、明治以来の開港時の人情と、
    きっぱりとした気性が濃厚に残っていて、ことに若い
    女たちの明るい、奔放ともいえる言動と人懐っこさが
    私を驚かせた。
    それは東京の女たちにはない、一種、特別なものだっ
    たようである。

    いや全く!と思いますよ、今現在の横浜も。
    唯一訂正させていただけるなら、「ことに若い」という部分。
    横浜の女性の皆様は、今もなお

    人情ときっぱり!そして明るく、しゃっきりした言動、
    人懐っこさは素敵ですよ!

    と池波正太郎さんも思うことでしょう(^_^)
    だって、ハマには浜を そんな女性の方々にたくさん
    助けて、励まされて頂いています。

    青木雨彦さんの例の洒落た言い方をすれば、
    池波正太郎さんも十二分に「ハマっこ」ですね(^_^)

    実行委員会 石橋

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    「海辺の情景」 広島県福山市 鞆の浦(とものうら)

    鞆の浦 その3 広島県福山市

    鞆の浦 その1 広島県福山市

    輸送手段を船に頼っていた時代から
    この港は「汐待ちの港」として栄えていた

    とくにここから西の島々(現在では、しまなみ街道)
    は瀬戸内海の難所として恐れられていたらしい

    瀬戸内の潮差は大きい、時には地響きをたてて流れることも、しばしばで、
    昔の木造船などで流されたら、ひとたまりもなかったであろうことは想像がつく

    鞆の浦 その2 広島県福山市

    そこで、ほどよい潮の流れを待つための停泊港が
    この 鞆港 だったのである

    今 この歴史ある港が微妙な立場にたたされている
    景観保護か地元生活優先か

    鞆の浦 その4 広島県福山市

    景観保護を優先した場合、緊急車両等の通行が不便なままとなり
    地元生活優先となった場合、とうぜん景観は変わってしまう

    難しい選択だ・・・

    ハマ浜特派員 三東寛

    【編集部追記】
    ウィッキペディア フリー百科事典
    「鞆の浦」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9E%86%E3%81%AE%E6%B5%A6

    自然と生活の狭間・・・
    三東さんが指摘している開発に関して、ウィキペディアの
    「鞆の浦」の項目に説明がありますので、ご覧頂くと状況が出ています。
    上記、URLで見ることが出来ます。

    環境問題は、どちらかというと人間の欲の部分とのジレンマを
    感じますが、この場合、欲というよりは生活に密着している分、
    更に、問題を難しいなぁ、、、と感じました。

    どういう選択を取るにせよ、その結果は、今後、他の地域での
    まちづくりにとって重要なケースとなりうると感じます。

    私たち横浜にとっても、その結果を十分に生かすことが大切だと感じました。

    実行委員会 石橋

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    丹後半島 静御前の海 京都府京丹後市網野

    「砂浜」 その1

    「砂浜」 その2

    京丹後市の網野町は
    日本海に面しています。
     
    ここに
    源義経の思い人「静御前」を祀ったお宮さんがあります。

    「静神社」

    それは
    海に面した「磯」という名の漁村の高台にあり
    この地で
    静御前は生を受けた、と伝承されています。

    「静神社から磯の集落を望む」
     
    そういえば
    静御前の母の名は“磯のぜんじ”……
     
    源義経は
    「腕っ節が自慢」の水夫をスカウトしに訪れ
    この「磯」の集落からも
    「屈強な若者が“壇ノ浦の合戦”に出陣した」
    といわれています。
     
    また
    義経一行は
    「磯」の人達が差し入れた心尽くしの弁当をとても喜んだ
    とも伝えられています。

    「紫陽花」

    ハマ浜特派員 加藤博

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    象の鼻 タマちゃんの定点観測日記 その7

    象の鼻 定点観測

    スッキリと平らになりました。
    日曜日以外、毎日ユンボのうなり音が部屋に入って来ています。

    ハマ浜特派員タマちゃん

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    山下公園 横浜の日常 特派員情報

    山下公園にて

    ブルーライトという名のバラ 向こうは氷川丸

    ハマ浜特派員 sato

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